第71回 私の体は私のもの?!
(季刊誌 しずく特集記事)
私の体はワンコが知る。
春・4歳を迎えるワンコと夏・63歳になる私。
この冬もなんとか生き延びた。時折自分の意思と関係なく体が動く。脳性まひによる不随意運動がおきるとワンコは吠える。不随意運動かそうでないかわかるワンコ…まっこと不思議だ。
私の中に隠れ潜んでいる奴が、時々私に悪さをすることを知っているのかな。寒いとこの回数が増える。「ぴくっ」と動くと「ワン」と吠える。
不随意運動に加えて、私の体に「ワンコ」という楽しいやつが入り住んだ。そんな感じだ。
こやつがお亡くなりの際には、どうなることやら・・・
想像するのも恐ろしいので、テレビは、動物との別れのシーンが出てきたら速攻消します。
「あんた、それでよく夫さんを見送れたなー」あきれ顔のワンコに
「逝きはったからしゃーないやんか。お前は私と後10年以上生きていくんやで」というと、少々迷惑そうな表情。「それならもっと大事にしろや」と言いたげだ。
私がおならをすると、むくっと起き上がって怪訝な顔をする。その何とも言えない表情に、毎日お腹を抱えて笑っている。
「ひとりで、おならしても楽しくもなんともないのになー。うちに来てくれてありがとう」
撫ぜようとする飼い主から遠ざかる。「何言うとんねん。あんたが連れてきて。へぇ、かまされて、あーあ」とワンコは部屋の隅であくびをする。
ワンコはおもろい。ワンコは凄い。ワンコは毎日がしつけ。ワンコは時に恐い。とコロナ禍のお家時間、メンタルの大きな下げも阻止できた。私は体ならず、心も自分一人では、コントロール不可だったのだ。
私の体も心も私のもの。これは確かなことである。が、この命は私の意思など及ばない所で誕生し継続している。これもまた真実。ここ数年、私は生産性も所属団体もなくただ生きている。生かされ続けている。嚥下障害と不随意運動ときしむ痛みと失禁と移動困難をいかにごまかすかが、日々の課題。
せっかく頂いた命を自ら断つなんて…といえるような強さは私にはない。
自死という言葉を知らないワンコが私を支えている。ワンコは強い。
「あんた、きいつけなあかんで。見知らぬ人に刺されないように。よく知る方に騙されないように。あたいの10年よりあんたのここからの10年のほうが危ないと思うで」ワンコが私を心配そうに見あげる。
世の中は私の想像なんてはるかに超え、えげつなく殺伐としているそうな。コロナ禍からの急激な物価高。キナ臭いニュースも毎日のように流れる。山火事にも戦火にも「人身事故のための遅延アナウンス」にも心動かなくなったことに気付く。
リアルな情報が多くなるにつれ、想像力が乏しくなるのかもしれない。年を取るにつれ、他人事(ひとごと)を自分事として捉えることが厳しくなっていくのかなー。
国会中に、こっくらと舟をこぐ議員もいる。こんな方たちが私を守ってくれるなんて、これっぽっちも思えない。
ならば、「私の体も心も、私の命も私のもの。殺さないで。傷つけないで」と死ぬまで叫び続けるしかないか(・・?
あなたも一緒に叫んでくださいませんか。私は一人で生きられませんから。