第40回 60歳になるとできないこと その T
(季刊誌―しずくーより抜粋)
コンビニでホットコーヒーとハーゲンダッツを我慢して買った雑誌。「60歳からはじめて人生が楽しくなる100のこと」
年と共に増えるお困りごとはみな同じらしい。
老いの準備に暮らしの不安解決法・人間関係に健康の保ち方。ちょっとしたヒントが書かれている。
表紙を飾る宮本信子さんのお言葉。「生き方上手は老い上手。一度きりの人生何でもおやりなさい」は、ごもっとも!
でもね、みんながみんな、そんなにイキイキきらきらと暮らしてはいけない。
母をみていて思うもの。単身独居である私が90歳に手が届くまで生きていたら…あー不安しか感じない。
母は二つ年上の父に守られているからいい? 愛の力は強く、他人はおろか娘である私の言うことにさえ耳を傾けない。コロナ禍だろうが台風だろうが、月一度徒歩10分の病院にタクシーを使って2人でいく。介護保険も往診も断固拒否。かかりつけの病院も母本人でないと薬は渡せないという。なんだか (・・? と思うのだが、
月一度、父に手を引かれる嬉しそうな母の顔を想像すると、まあ、いいかとも。
60歳を迎えた私の一番のお困りごとは・・・これだ!「怒れない」ことだ。
若い頃は、沸騰したやかんが「ひゅー」と音立てるように心が動いた。損得勘定が働く前に許せないものは許せないと言葉にできた。今は、たまに「ひゅー」と頭から湯気がたってもすぐに冷める。相手の言うことを「ふーん」「う・うーん」と聞くうちにどうでもよくなるのだ。めんどくさくなる。
昔の私なら、「正しい・正しくない」を測る心の物差しもあり、時には「ピシっ」と物申せた。でも、世の中の理不尽なことに怒っていられたのは、守ってくれる夫がいたからなんよね。
15年一人で生きて学んだ。「ピシっ」といっても痛いのは自分だけで、相手にはなんにも伝わっちゃいないこと。たとえば正しくないことをした事業所がある。でも、行政のお裁きを受けて、一時だけ名前を変えしれーっと事業開始してしまえる。大規模な集団食中毒を出した雪印が、メグミルクと名前を変えた手法のごとく。どの業界だって同じ。
私はメグミルクの商品は絶対買わない。
のだけど、最近何かにつけて口ごもる。「別に私が被害を受けたわけじゃないし、そこで働く大半の人は、そのことに無関係だったはず」と。見ざる聞かざる言わざるの真っ赤なお尻のおさるさん。
もう、心の物差しなんてふにゃふにゃ。
ひとりになった私は「正しいか正しくないか」ではなく「快か不快か」の赤ん坊に逆戻り。
せっかくワンコに人間らしくしてもらっているのにね。えっ?ワンコと暮らしてどう変わったかって。
トイレのドアを閉めるようになった。食事中、食べ物をぼろぼろと落とさなくなった。朝起きる意味を考えなくなった。生き物は生きているだけでいいと思うようになった。よく笑うようになった。
考えてみると、この程度の私が、なにかに物申してみても「プンプンプン」と怒ってみたとて、相手に響くはずはないか。あははははー。