第5回 母と暮らせば その2

母には小さい頃よく叩かれた。なにをどうしたら叩かれるのか当時もわからなかった。58歳の今、考えてみてもわからない。叩かれたことと鬼婆の顔だけが記憶に残っている。

隣の友美ちゃんと上のボーちゃんを泣かしても、遊びに夢中で家に帰るのが真っ暗になっても叱られなかった。ピサの斜塔の体なのにおてんば。行ってきますの数分後には分厚いタイツに穴をあける。友美ちゃんみたいなパッチワークをお膝にしてほしかったんだけど、
そんなことじゃ追いつかなかったのか、左右太さも長さも違う足はいつも新しいタイツをまとっていた。洋服を汚しても、食べ物を残しても叱られなかった。私がもたもた食べていると「ちいちゃん、お腹の中はゴミ箱じゃないの。嫌なものは食べなくていい」とサッサと捨てた。食べるのが遅いだけなのに。その場に居合わせた叔母(母の妹)たちは「ねえちゃん、もったいない!」と私のお皿をきれいにしてくれた。が、母が私の食べ残した物を口にしたことは一度もなかった。
お隣さんの友美ちゃんは、お残ししたり、ポーちゃんをボコッとした時、おばちゃんに怒られるのに。

一年生。友達になった操ちゃんは、たまに校庭に走っていき、教室に入らない時があった。私はその隣で砂や草をいじりながら、操ちゃんが立つのを待った。操ちゃんはこれもたまにだけど、いつもニコニコしているママとお日様が元気になる前に帰っていった。
そんな時、先生はおめめぱっちり、おりこうさんの由美ちゃんに「ちなっちゃんと一緒に帰ってあげてね」っていうけど、由美ちゃんは時々階段の前で置いてく。操ちゃんは一回り小さい曲がった左手をふわっと優しく持ってくれた。だけど、由美ちゃんは「右手を出して」って言う。右手をとられると体のバランスがとれず、二人で歩きにくいのに。ちゃっちい左手の指・折れそうで怖かったのかな。
終業式の夕方、真っ暗な公園で由美ちゃんが泣いているところを初めてみた。「通信簿にがんばろうが一つあっただけで家にいれてもらえないって。とんだ教育婆―やわ」と言いながら、母は私の成績表をチラッと見て印鑑を押した。「がんばったね」とも「頑張ろう」とも言わない。
由美ちゃんも怒られるんや。千秋ちゃんもピアノの練習しないとママが怖いっていう。
私はなんで怒られるんやろー。
高学年になると、やられっぱなしではなくなり、鬼婆の顔をじとーっとにらんだ。「その反抗的な態度。わかってるの」とまた怒られた。わからんよー私何してん?何を怒ってるん?
それでも、夕方には父が帰ってきて食卓を囲み、夜には6畳の居間で三人仲良く「金ドン」とかみて笑った。そんな昭和の団地の家庭だった。

「女の子なのに」「女の子だから」と叩かれた記憶はない。
けれど、14歳で初潮を迎えた時、母は「こんな事だけ、いっちょ前やねんから」と言っただけ。
あの時も一番若い叔母が「ちぃちゃん、おめでとう」と言ってナプキンの当て方を教えてくれた。みんな、お赤飯を焚いてもらうとか言うけど、うちは、母の顔が一番怪訝に映った瞬間だった。
思い起こすと、この頃から母は滅多に手をあげなくなった。

(続く)   

 


第4回 母と暮せば(2020年10月15日)
第3回 悲しみごとも よろこび事(2020年10月1日)
第2回 この夏は
(2020年9月14日)
第1回 初めまして(2020年8月28日)

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福本千夏の本

障害マストゴーオン!
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息子をはじめ、たくさんの人たちに支えられ、葛藤し、見つけた希望は・・・!?
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