第36回 続 おっちゃんのこと
おっちゃんは、私より一年早く連れ合いさんを看取っていた。長年、隣にいた人が急にいなくなる。彼はその淋しさをよく知っていた。そして、穴が開いてしまった心は、何も誰も埋めてくれない。そのまま生きるほかない。彼の後ろ姿はそう語っていた。
「泣くのもええけど。顔の相が変わってきたがな。ぼちぼち…」臆することなく彼は口火を切った。夫の死を受け入れられず、野獣の遠吠えを繰り返し、眉間にはふっとい皴・左目には瞼が重く乗っかっていた。目を両手でこじ開けてやらねばならない厄介な顔になっていることにも気づかなかった。
ぼちぼち?っていうけどさ。
「家族の死を語る会」みたいなものはあかんやんか。私語られへんし。
体もたえず天秤みたいに揺れているから、黙って人の話を聞く宗教行為も不向きやんか。
そんなことを私が四の五の言う前に彼は
「ぼちぼち…書けー」耳元でがなった。
「そのまま書け」と加わった。
りぼん社「そよ風のように街に出よう」の編集長・河野のおっちゃんのメイには逆らうわけにはいかず「うっうん?」とあいまいに答えた。が、はてさて何をどう書くねん。
今までのような「私かーるく生きてます風エッセイ」はもう書けない。「ちなつのまっいいか」ではなくなった。状況は一変したのだ。
どっどないしよー。この日、夫の死を悲しみ続ける自分の顔と向き合った。が、鏡越しの私が言葉をくれるはずもない。
私…何が起きた(・・?夫を失った(@_@) で…
悲しみの原因をひとつひとつ炙り出していこうと思った。夫がいなくなる想定外の出来事にいつまでも面食らっているわけにはいかない。かな…。
生き抜いた夫と未来ある息子。死ぬ選択はできない!さっき聞いたおっちゃんのぼそっとこぼした一言が頭の中でぐるぐる回る。「生きてかんとな。僕もあんたも」
ひとまず、おっちゃんから紹介されたお寺さんを訪ねた。
おっちゃんはアーメンと胸元で十字を切ることも、お念仏を唱えることもなかったけど、このご住職とはマブダチなんだそう。
住職は私の愚問に丁寧に答えてくれた。
「私は心には触りません。ただ仕事柄、お見送りの場面に誰よりも多く出合う。なんで死んだん?とお身内のご遺体を前にしておっしゃる方も多い。生きたから死んだと言うほかない。悲しみも、次第に形を変えていきます。まっいいかっとまでいかなくても、こんなもん?あんなもん・そんなもん!言うて生きはったら?」「えッ?」驚く私に「少し読ませて頂きました。―まっいいかー。あっ次からはーちなつのこんなもんーにタイトル変更して…」
おっちゃんとご住職の優しい企て(・・?にはまり、15年経った。「こんなもん」と悟る元気もなくなった今も、「ちなつのごにょごにょ」と称し綴っている。
もし、おっちゃんが生きていたらこういうだろうか?。
ごにょごにょ言うてたらわからんへん!それでなくても、あんたらの声は聞こえないふりをされるねんから…と。