第34回 風が吹けば桶屋が儲かる
東北で地震が起きた。遠方の我々は「うちは全く感じなかった」「えっまた○○町?!お気の毒に」と言う。
たびかさなる災害で心おれていると思われる地で暮らす方々に、首をかしげる人もいる。正直、私もそのひとりだった。被災障害者支援団体「ゆめ風基金」で働いていてもその程度の想像力。本当に人間は、自分の身に起きた痛みでしか物事を捉えることができない。まったくもって愚かな生き物だ。
だけれど、私は幸いにも、被災した方を支援する心と支援を受け取る勇気に7年触れた。「なぜ何度も地震に襲われるそこで暮らすの?」とはさすがに思わなくなった。職場を離れて、マンションの半径一キロ圏内で暮らす今、「なぜ彼らがそこを離れなくてはならない?」と以前より強く思う。
―3年前―「ゆめ風基金」を退職し、さあこれからは2冊目の出版に向けてラストスパートだ。本が形になったら、まだ少し動けるうちに、いろいろな場所に出向いて、いろいろな人と出会いたい。そんなウキウキした思いで、服を選び靴を作った。コロナ禍に入ったのは、そんな矢先。それでも当初は、異国のすぐ終わる騒動ぐらいに捉えていた。まさか、顔なじみの本屋さんにもご挨拶に行けない事態になるとは( ;∀;)
「障害マストゴーオン」(出版社イースト・プレス)のイベントや取材も延期の末、オンラインで行われた。
パソコン環境を整えると、大抵のことが人と会わなくても済むようになった。機械音痴の私でさえ出版に関することはもちろん、買い物や娯楽・ちょっとしたお悩み事も解決できる日常が手に入った。幸か不幸かは図りかねるが、今までとはちょっと違う暮らしだ。
そして、1年経ち毎日が日曜になった。
輝く未来を想像できるのは一瞬だ。結婚式の翌日、花嫁でなくなる。こどもの合格発表の翌日から親は金策をたてる。出版に関して言えば、私は「宝くじ」のようなものだと思う。当たる夢をみせてくれるもの。
私は書くことで人生の扉をこじ開けてきた特異体質なので、次の宝くじも手にしたい願望が心の奥底にまだ残っている。
みんなみんな一瞬の夢のために努力を続けるのだけど、私は毎日が日曜になった。
誰も来ない、イベントごとがないどんより曇った日曜は。たまにならいい。でも毎日続くと生気を失う。
そんな中、犬を迎えた。
以来、毎日、マンションの下に行き、四季の風を感じるようになった。声をかけてくれる人も増えた。「あーワンコとここにいてもいいんだ。1日でも長くここで暮らしたい」と思うようになった。
言葉は交わさぬとも、なにげに気にかけてくれる人がいる地域。地によってはそれに強い煩わしさも伴うのかもしれないが。
地が揺れようとも、石が飛んでこようとも、あなたはそこにいていいのだ。
「風が吹けば桶屋が儲かる」被災障害者支援活動を生業にしていた頃には嫌いな言葉だった。
でも、最近思うのだ。桶屋が…1番風の行方を気にするのだ。強い風が弱い者に当らぬようにと祈るのだと。