第14回 乙女の経験8
家を継ぐ子を産んでくれさえすれば
白髪交じりの彼は、私が「障害者」とハンコをポンっとされてからの父みたいな存在だった。細い動かない足から察するに脊椎損傷らしかった。若い女の子なら、一度は憧れるうーんと年上の大人。紳士的で人脈も経験も知識も妻もある。車いすと車を両手で操り、彼は、障害当事者運動発祥の地アメリカ・バークレーと日本を行き来していた。
就職が決まらない私に
「日本の女性障害者は誰かのものになって…結婚が最高点だと思っている。が、君は違う!君にも産声を上げたばかりの障害当事者運動を担ってほしい」と彼は留学を進めた。
京都・桜咲く彼のお宅は学生たちの交流の場にもなっていた。
「千夏ちゃん、一緒に英語の勉強しよっ」同じ大阪人、同じキャラ名(病名)、3つ年上の西園寺和也(仮名)さんとはそんな時出会った。口もあけにくく、発語もしにくいことを理由に、中高大学の間、英語の授業も私は口パクだった。「あっはは。その技はひとクラス6人の養護学校じゃてきへんかったわ。英語なんてマンツーマン。おかげで英語で挨拶ぐらいはできるけど、文法が…。そや」とマンションの一室で英語レッスンがスタートした。和さんの母とも英語のティチャーとも親しくなった頃、この母は切り出した。
「息子にはもちろん、千夏さんにもお手伝いを付けます。息子の世話は一切しなくてもいいです。生活に不自由させません。西園寺家を継ぐ子を産んでくれさえすれば…今夜は和さんとお食事にでも…」と。
息子は健常女子には手が届きそうにない。ならば。この明るい障害女子に…と考えたのだろう。まっ世継を産んだらお役御免と放りだすまでの悪人にも思えないが。
「和さんは、どう思ってるん?」と聞いてみた。
「うん。おかんが決めたことやしな…うわっこんなマザコンの自分に悪寒がする」と静かに笑う。
「あんた、そのセリフ何人目や」
「すっ鋭い突っ込み」と電動車いすを操る手を止める。
オチまでついたそのセリフと、夜の港というこの場面設定、誰でもわかるやろ。
「あのおかんの呪縛から逃れるのは無理やろー。なら、逆にさー。あなたもあなたのお母さまも好きですっていう人と出会うしかないわ。私は適任ではないと。それに万が一、私やあんたみたいなもん出しても、こんなん出ましたけど…じゃすまへん気がする」
「がははは。俺、千夏のそういうとこが好きやねん。手も触られへんかったけど」
「ええ友達ではあかんみたいやしな。まっ互いのごぶうんを願うか!」
マンション2棟持ちの次期社長。新地では顔パス。私がそこそこお金持ちの子なら親に相談したかもしれない。けど、博物館にあるような美しいティーカップや、何気に敷かれたペルシャ絨毯の価値、私、知らんもん。
で、留学したんか?って。
面接時に「英語が話せません」っていうて、落ちてしもた。あの場は、英語が話せるふりをどれだけするかが勝負やっただろうに、そりゃーあかんわな。

桜もええけど・・・