第4回 母と暮らせば
母から「外出もしないし、ストレスでおなかがいっぱいや」のメールが入る。
翌日、89歳の元気な父と、87歳のまったりした母が暮らす実家の玄関を開ける。「昨日な、ちーちゃんが夢に出てきて何かあったのかと気になって気になって」と、泣き顔の母に迎えられる。「どっどないしたん?」と私は玄関直結の台所兼リビングに進む。
聞けば、明日、父の白内障の日帰り手術だと言う。それにしても、買い物から調理まで父を頼って生きているこの人は、私が来なかったら…
まっきっとそれなりに過ごしていたとは思うのだけど、その姿を想像するとやはり切ない。
夫が逝き、息子が巣立ち、一人には少々広い我が家には、電車一駅だ。が、両親はめったに顔を出さない。
よほど私のことがキラ〇?と、ゆがんだ体に歪んだ思いがもたげる。
いかんいかん。家を出て40年余り、好きに生きてこられたのは、いくつになろうと子供を頼らずとする両親の愛あってのこと。
なので、とりあえず…父の眼帯がとれるまでは、美味しい食べ物を運ぼう!。ゴーゴー
二週間後。元気に自転車をこぐ父の姿に安堵し、「もう大丈夫やね。これからは早めに言って。そしたら、みんなにも助けてもらいやすいからさ」と言うと
「知ってんねん。ほんまは誰も何もしてくれへんよー」と、今度は子供のように泣きながら叫ぶ母。
はあ!?
こんな時のための自費の介護サービスや宅食の手配をすぐに解約してしまうのは誰やねん。
「なら、なんで自分で動かんの。歩かんから歩きにくくなるんよ」泣きたいのはこっちやわ。
「だって、だってしんどいもん」あのさービザの斜塔の体を持つ私も、しんどいねん。
それに、シングルで息子を大学復学させて、すねどころか足までかじられて、実は私もわが身を支えるのがやっとなんよ。
あんたはそれを「後家のツッパリ」「バカ親につける薬なし」っていうたけど。今この子を信じてやるのは私だけだって私なりに頑張ったんやから。
マネーも後悔もない人生を歩む娘は、母に「歩けよ」とすごむ。なんで杖や歩行き使ってまで歩きたくないなんて言うん?
母の独特な美意識が私はいまだに理解できない。そういえば、この人は…
(一回り小さいETみたいな)左手は右手で隠してっていつも耳元で囁いた。毎朝はねる直毛にパーマ当てるように命じた。この人の言葉は中学校の校則より、強硬だったよな、
「一日一回は外の空気吸うたら」と言えば、予想通り「だってコロナが怖いもん」とくる。
「母さん、コロナ前は外に出てたか?」
確かに、一日テレビの前にじぃーといたら、「コロナにかかったら死ぬんや。外に出たらあかんねんな」って心も体も縮こまるのはわかる。私だってそう。
ポジティブな感情を持ち続けるためには、たくさんの情報と努力と応援がいる。反してネガティブな感情は簡単に広がるもの。言訳は楽だ。
「またな」母の視線に後ろ髪を引かれつつ、娘は全身全霊で手すりを伝って団地の廊下を行く。私の足も直進縫いのミシンと同じ。方向転換はできない。けど。娘の背になんか書いてないか?母さん!