第15回 ロミオとジュリエット
祝福を得られない恋ほど燃えさかる。これは大昔から決まっている。
だから、私は、私と初めましての息子の彼女が、パンストの置き土産をしようと
「これ、私のやったかなー」と笑い飛ばす。
メルヘンファッションのひらひら星人をつれてこようとも、「まあ、かわいい。あんたのお姫様・大事にしなさいよ」と言う。
が、20代半ばでやっと一人で生きていけるまで育った息子。その彼女に私は初めて怯んだ。同棲なんていう言葉が全く頭にない私に「一緒に暮らさせていただきます」という報告をする。これが初対面だった。「暮らします。暮らしています」なら、まだわかる。だけど…暮らさせて…とは、まあなんと「奇妙な日本語」と首を傾げた。「うちの子、まだ講師やで。もう少し落ち着いて。住まいも整えてから…」と言ってみた。狭い所で今すぐイチャイチャしたい二人の耳には届かないと知りつつも。以来、息子の背中に爪痕を付けられようとも、ひとりで新年を迎えることになろうと、平気を襲おった。とりあえず歓迎!のふりをし続けた母の努力も虚しく、4年目にしてコロナ別離。その後息子に人生を共にする決定的な出会いは。まだない。
さすがに、息子も三十路を超えたあたりから、母の偉大な愛を疑いだした。
「おかんは…誰をつれてきても、あかん気がする。ほんまは美麻(仮名)のことも…」
付き合いが長かった彼女の名を口ごもるこいつは、ほんまにアホだと呆れた。それは、聞いたらあかんわー。
男の子も女の子も恋をした段階でみな犯罪者になる。親は大事に育てた宝物を奪われるのだ。だから、奪った相手は誰でも同じ。この気持ちは親になってみないとわからんよ。
でも、子供が選んだ相手。どんなにはらわたが煮えくり返ろうとも、寂しさで心に穴が開こうとも、受け入れるのも親だ。
それに、子育ても子離れも、ひとり親は、2人親の幾倍もの覚悟とエネルギーがいる。
「まあ、結局あんたは…いつか母を捨てる覚悟をしなきゃね。あんたの父さんがしたみたいに」とお仏壇を見る。
33年前、向こうの親は結婚に大反対。私の親ももろ手を挙げて賛成じゃなかった。
で、現代(いま)も昔も、障害者と健常者の結婚は、世間のハードルが高い。これはなんでやねんって考えてみる。
2時間ドラマなんかだと、まずは異色な2人が出会う。で、すれ違いや現実をふたりで乗り越える。親からは「あなたは、その子のどこがいいの?その歩けない、話せない子のどこが?家柄が学歴が…あなたは優しいの。だから同情しただけ。苦労は目に見えてる。おやめなさい」と反対される。が、友人たちの手作り挙式でふたりは愛を誓う。T年後・桜の下、3人家族での写真。そこに、エンドの曲が流れる。
で私、今気づいちまった!「その子のどこがいいの。○○できない。○○があるその子のどこが?」という思いはどの親でもある。正直私も思ったもん。
でも、完璧な人間など、どこにもいないことも、この体がよく知っている。
だから、言えないのだ。言わないのだ。
「ロミオロミオ」と、泣きながらも、うっかり生きたジュリエットは、すっかりお腹が黒いおばちゃんになりました。

―昭和のジュリエット(笑)ー