第52回 ひつまぶし食いてぇー
(季刊誌しずく より転載)
9月といえど「危険な暑さ」は続いていて、外出は避けるようにとテレビをつけるたびにテロップが流れていた。
そういえば、コロナが出だした時もこうだった。不要不急な用事以外は家にいてくださいと毎日のようにニュースは叫んでいた。
コロナ出現から4年。
毎日毎日「危ない」と呪文のように言われ、外には魔物でもいると思ってしまったのか、
91歳の母・早苗ちゃんは、とうとう一歩も外に出れなくなった。
それに、人間不思議なもので、医学的には歩けるとされる足も動かさないと歩けなくなる。自分の体を支えることが年々厳しくなる私も実感している。
「福本さん。現状維持でいいなんて言ってたら寝たきりさんになりますよ。
100歩歩いたら100歩の足になる。1000歩歩けば1000歩の足になるだけです。歩く意思の継続があれば大概の場合動きます。痛くても頑張って動いてくださいよ。なにかと気をつけながらね」という鍼灸師さんの言葉を思い出す。
父親業にひと段落着いたらまた遠方から往診に来てくれるのかしら?
「コロナ禍でなければ、私の方から名古屋に出向くのに」と別れ際に告げるけど、ほんまか?私。
「コロナ禍なのに…コロナ禍だしね」と心も足もまだまだ後ろを向く。きっと私も母に似て怖がりなのだ。
あー名古屋のひつまぶし食いてぇー。
コロナ禍で予定していたことができなかった人は大勢いる。今もいる。私もそうだ。でも、命までは取られていないわけだし、ワンコという家族も得た。仕方なくパソコンも少しは使うようになった。
若い世代に至っては、リモートワークで人生を豊かに生き直せたという子もいる。
でも、年を取れば、世の中の変化に適応する力がなくなる。有事の際、生活の修復にも時間がかかる。一度染みついた恐怖感からもなかなか逃れられない。
そんな、外にも出れず誰とも会わない母のもとに、またまたワクチン接種券が来た。私は首を傾げた。唯一の社会参加がこれ?母は3回目あたりから接種後に体調を崩している。
が、「やめといたら」という声にも耳貸さず、病院の手すりがある廊下を亀のようにゆっくり歩く母。その姿は誰がどう見ても歩行困難者だ。
でも、この状態は自立していると判定されている。ありゃー。
病院で「誰かの支えがあれば歩けるよね?おばあちゃん」なんて問われ、「はい、大丈夫です。充分歩けます」と胸を張る母には往診医師も訪問リハビリ師もついていない。
「誰かの支え」とは「93歳の父の支え」のことだろうが、歩行器も車いすも嫌がる母を、月に一度93歳の父がタクシーを使い病院に連れていくのも限界が来ている。そのうえワクチンまで…。
最近の母は、通院自体も嫌がり一週間前から子どものようにぐずるらしい。ひょっとして病院ではいいお婆さんを頑張っている? それがプレッシャーになってぐずるのではないか。検査が苦手な脳と体で、私は想像する。
「高齢者や基礎疾患がある方からワクチン接種を」と勧める優しい(・・?社会なら、これらの人たちがコロナ禍で今も一番、社会から取りこぼされていることを知ってほしい。
いや、知りつつも知らないふりをするのがこの国?!そう。あれもこれも…