第49回 腹黒娘のほんね
2年後には75歳を迎える方が人口の4分の1になるらしい。
「親孝行したい時に親はなし」なんて、もはや死語。親いるから。
92歳の我が父も自分のペースで日々淡々と生きている。父親としては?がつくのだけど、人間としては、まあ尊敬できる。無口な父がぼそっと呟く言葉は「大丈夫・きっとうまくいく」
「じいちゃんって愚痴や人の悪口言わんな。ほんま神。正反対のばあちゃんとなんで結婚したん?」と聞かれ、「うーん・神やから」と答え孫と爆笑してたっけ。
ちなみに、母は最近やっと言語化された毒親。
いやーしつけという名の暴力もきつかった。
けど、毒親が猛毒婆さんになってはく言葉もなかなかのもの。
たまには神じいさんを人間に戻してあげたくて、「暖かくなったし、たまには、ばあちゃんも連れて家においで」と優しい娘になってもた。こっこれがあかんかった。
いつもは私のごにょごにょとしたハスキーボイスに首を傾げる父がこの時だけ、バッチリ聞き取っていたとは。耳が遠いなんていってるけど、いつも聞こえているんとちゃうん?
婆さんの手を引き、タクシーで我が家に突然やってきたー。それもじいさんは婆さんをしばらく私に託す計画を密かに立てていたのだから恐ろしい。まあ、せっかくだから、高級寿司を口にし、訪問マッサージも受け満足気なお顔になってもらって、はい、さようなら。
なんて穏やかに一日が終わるはずがない。お二方とも腰をあげる様子もないので、私は恐る恐る
「冷えてきたな。真っ暗にならんうちに…タクシー呼ぶわ」とスマホを手にした。途端に私を睨みつけ、母は、「えっ帰れってか?帰るってどこにや?」と大声をあげる。家中を這いながら、勝手に物を動かしはじめる。その後ろを「やめて」と這う・私の後ろからワンコ。「この子邪魔やわ」とワンコを叩く母。ここは私とワンコの大事な住処や!ワンコを叩くな!
布団がないこととエアコンが壊れていることを何度も言い、タクシーを呼びGO・HOME していただいた。
そろそろ「認知症らしい」という武器を捨てて「認知症」の診断を受けていただかないと、私は到底お相手できないわ。もらってもいない指輪を返してくれなんて序の口。千夏はかわいそうと泣かれるのも慣れた。でも90歳になり一段と攻撃は巧妙かつ進化を遂げた。うかっとしてたら自分が一瞬にして壊される感じだ。私という人間の器は小さくもろい。
幼い頃は時折の母の爆発に怯え、そこから逃れる事を考えて生きた。そして、派手に毒親の連鎖を繰り返すことなく、子供を育て、私は子育ちした。
気づくと還暦。コロナで孤独。そんな時、命の曇り止めにとワンコを迎えた。手のひらサイズのちびちゃんも、2年で4キロ超え。今やほんまの命の重し( ´∀` )
帰り際、空に近いベランダを指さしながら5回繰り返した母とのやり取りは
「千夏はなんで一人でここにいるんや。私やったら寂しくて耐えられへん。そこから飛び降りるわ」
「母さんそんなこと言わんとって! 私は寂しくないの。それにふくちゃん(我が夫)が逝って17年やで」「おーそんなに経つか。けど千夏はなんで・・・」
100の親子がいたら100の親子関係がある。人生100年時代・親孝行なんてしてたら我が身が持ちませーん。なんでも、自分なりのほどほどが大切です。

白のポピーの花言葉・・・忘却 想像力