第23回 私、めっちゃ欲張りでして…
息子の学費もあと一年。ちょうどこの頃、上司的な存在のダンディ彦さんが職場を離れた。「なんや、心細そうな顔して。あんたはもう大丈夫や・ええキャラしとるし」と微笑んだ。
あー今、金魚の糞みたいな辞め方したらあかんなー。せっかく育ててもらったのに。もうちっと頑張るか―。
特定NPO法人・ゆめ風基金は、阪神淡路大震災の年、(故)永六輔さん・小室等さんなど著名な方の協力を得て、被災した障害者を支援するために基金を募ったのが始まりだ。
イベントやコンサートの受付・障害者防災冊子作り・物販管理・中学校への出前避難訓練・入職してからひとつひとつを積み重ね、一人で場を任せていただけるようにもなった4年目。
いやーちがうなー。(すみません。かっこつけました)
わ た し、その場その時をその日出会った人に助けてもらって、なんとかお勤めができてたんだ。
瞬時のお金の出し入れなんてできやしない。計算やレジを手伝ってくれる「お客さんは神様です」
初めての学校なんて教室探すだけで終了やっちゅうの。リアル障害者?ってこわごわ近寄って、教室案内してくれる「こどもは天使です」
えっ言葉の使い方がちょっと?まあまあ。
てへへ・あはは・ぎゃー・ごめん・ありがとうを繰り返し、名前とお顔を覚えていただいて。
必死に困ってたら誰かが助けてくれる。世の中ええもんやねぇー。このことを知れただけでも、しあわせでした。
が、私・実はめっちゃ欲張りでして…
受注という言葉さえ知らなかったのに、伝票を作り、防災冊子を送り、請求し入金確認をする。一連のことができるようになり、防災関連本の仕入れ販売で、出版社や著者さん・書店さんとのやり取りもしだした頃。ふと思いだした。
私もここに来る前、毎日号泣しながら書いてたんよな。夫を看取る瞬間までの希望。亡くしたことの絶望。家族だった風景。向井理さんに似た鍼灸師さんに心の引き出しを開けてもらいながら…。
「確かにゆめ風でのこつこつ、こなす仕事は、性に合っている。でも、自分で書いた本がここにあれば、もっともっと仕事が楽しくなるだろうに」って夢をみた。
そして、ゆめ風基金・応援者・我が組長・中山千夏氏のイベントに乗りこみ…。
千夏さんとは、往復書簡という形で記事を書かせていただいた事がある。お顔を拝見したのはこの時初めてだったはず。そんな奴から、突然原稿の束を渡されても・・・ですよね。
でも、我が組長は「わかりました。少しお時間いただけますか?」と静かに告げた。
そして、ご縁を繋げて頂き「千夏ちゃんが行く」が飛鳥新社から世に出していただけた。
ごろごーろ生きてた奴が、気づくと二足の草鞋を履いていました。
「あんたは団体としての文章を書く知識がない」と言われ、「確かに」
ゆめ風基金を「やめ風基金」「ゆる風基金」と打ち間違えるもんな。とさっさと書くことを諦めたふりをし。出社時にはなぜかいつも目をこする。
うわっ言葉にすると最低なやつやん。わ た し
大事な仕事を託してもらって、ゆめをみたら風が吹いた。
ほんま、人生一寸先はわかりません。