第28回 募金活動のなぞ その1
イチョウの葉も落ち気づけば12月である。街がクリスマスカラーに染まりだすこの頃。
歳末商戦の抽選会・ガラガラの音に混ざって、寄付を呼び掛ける声が聞こえていた?気がする。なにぶん、寒さに弱い私は、コロナ禍に冬眠できる環境をつくっちまった。だから令和の師走の街はよく見ていない。
私はしないが、現在(いま)は、寄付もネットバンキングやクラウドファインディングを通してできるらしい。
被災された障害をお持ちの方を支援するNPOゆめ風基金で募金箱を折っていたことが、ずいぶん昔に感じる。
さらにその昔
夫と息子の三人家族だった頃。いつも募金箱にまっすぐ進む父と引き下がる母の間で息子は「僕はどうしたらいいの」と困り顔をした。
「大きくなって、仕事するようになってから自分で考え」と答えた夫は、その夜「ちなちゃんが募金しないのはなんで」と問うた。
あれは・・・
世の中は理不尽でできていることも知らない学生の頃。
友人と誘いあってある団体の募金活動で街頭に立った。私もいつになく「お願いしまーす」と出にくい声を絞り出した。
小一時間ほどしたころだ。「お疲れさま」と肩をたたき「写真撮ってもいいかな」と私たちの真ん中でピースサインをするおじさまは、関係者。ではなく政治家だった。そして「これでお昼でもしてきて」と万札をすっと握らせ去った。
どどどないしよー。ファミレスでいつも頼めないデザートまで頂いても、学生3人での万札はてごわい。さっきまで100円玉に感動していた私たちはもう二度と寒空で声を張りあげることはなかった。
私たちと一緒に街頭に立ち、小さな手から出る10円玉に感謝する政治家などいないと還暦前の今ならわかるが。
「なるほどな」と微笑む夫の死後も、毎年いくつかの団体から寄付のお願いと振込用紙が届いた。夫の遺志をごみ箱に捨てるわけにもいかず、数年間だけど私、いい人になっちまった。
のちに勤め先のゆめ風基金で知ったのだけれど、家族の遺志で寄付する方はいらっしゃる。逆にやめていく方もいらっしゃる。亡き家族の志を大事にするのも、そこから去っていくのもいい!ひとそれぞれなのだ。
私はていねいに「ありがとう」を手紙にしたためた。さよならから始める人生が豊かであることを念じるしかできなかったのだけど。退職するまでお手紙のやり取りが続いたかたもいらした。
50歳のひねた社会人に基金者へのお礼状書きという大切な仕事を命じたのは、私の再出発を願っていたから(・・?だとしたら、なんという粋なはからい。
あー過ぎ去った時間と場所と人はみな美しい〜 ガハハハッ
たまには誰かを応援してみよっか。
半年前にこいぬを迎えた私は、はじめて保護犬団体の募金箱に吸い寄せられる。