第22回 「福本さん」と呼ばれた場所
さてさて、被災した障害者・団体を支援するNPO{ゆめ風基金}で、50歳にして働くご縁をいただけたものの・・・私いったい、ここでなにすんねん?
きっと、自分しかできないなにかがある!なあんて社会人未経験ゆえいきまいてました。
ちょっとだけね。
でも、25年専業主婦を名乗り、ごろごーろしてたんだもの。できないことや知らないことはたくさんあっても、わたくしにしかできないなにかなんてない!
5人のお局様から手取り足取りご指導賜り、そこは50歳。すぐに気づきました( ´∀` )
いやー、職を得て改めて「福本さん」って呼ばれる場所は大事だと思いました。結婚して、せっかく「福本」になったのに、ずっと「奥さん」「お母さん」「千夏さん」と呼ばれてましたから。
「福本さん、おはよう」「福本さん、お疲れ様 また明日」って言われるだけで嬉しかった。
ここでのご縁を大事にしたい。でも、働く自分がイメージできず…。短時間の「トライアル雇用」からのスタートでした。
チラシ折りに郵便物の仕分け。機関紙の打ち込みに記事作り…
と、まあできることを少しずつ増やしていき。あー働くってこういうことなんだ。
「誰にでもできるこの仕事を私がさせて頂いてる。ありがたいなー」って。
週3日の非常勤勤務にも慣れ、生活も落ち着きだした頃、事件勃発?!
その日は、社の御用を同僚とすませてからの出勤だった。
車いすを押す同僚の足が止まる。「えっなに」と問う私に「驚かないでね」と笑みを送る。
「なになに、パチンコ屋に入りたいの?」「違います。私はいたしません。しているのは」と同僚の人差し指の先には、
ぎょえー。むむむすこの姿なり。
「黙って通り過ぎるのもね」
と言われ、「見たくなかった」と首をうなだれる。
「さあ気を取り直して行きましょう。福本さん、仕事が終わるころには忘れてますって」と促され、車いすの上、まるい背中のまま職場に着く。
お昼休みまで(@_@)顔が硬直
息子とのガラス越しの対面を話すと
「福本さん、やっとプライベート語ってくれましたね。職場はそういう場所でもある。
隅っこで弁当食べているより、ちょっと聞いてくれますか?いうて焼肉弁当やけ食いしてる方が福本さんらしいわ」
「息子さんって先月一緒に来たすらーっとした子?まじめそうで心配してたけど、学校さぼってパチンコか。障害を持つ母を背負ってない感じやん。ほっとしたわ」
「なーんや・何事かと思ったら」と
みんなの声援?を受け、
「次は窓越しじゃなくて、入っていって、にいちゃん そこでるん?いうて隣にどんと座ってやりますわ。私、ほんまここに席があってよかったです」
おかげで、福本家は親子喧嘩を回避できました。
「席だけと違うで。机もあるで」「机の上に仕事もあるで。ぼちぼち、きばりやー」
やいのやいのの一日が終わり
帰宅後の母のひと言
「にいちゃん、出たん?」「あー学校は休講やった」
「ちゃうやん。玉やん tama」
「おか (@_@) ん」