第26回 感動ポルノって? その1
今日は、ワンコには時折見えるらしい夫・63回目の誕生日。スーパーで夫の背格好に似た人を追ってしまう。逝った人との別れに苦闘するも、生きてる人との別れに難儀するも、凡人なれど。
肌寒い今宵は「泣く」のもあり。えっ年を重ねると「泣く」スイッチもなかなか入らない?
ですよねー。加えてコロナ禍で、心揺さぶられる演劇や音楽に触れてない。目の前に広がる景色はいつも同じ。ライブで聞いた曲をスピーカー越しに聞いても、演劇をネットで観ても、バーチャルでお空を飛んでみてもいまひとつ。
コロナが登場して以来、ずーっと低空飛行のまんま日々を生きている。みんな、かーるく「鬱」って生きている気がいたしますが、どないですか。
元来、人間って「感動」と「涙」を求める生き物なんだと思います。
オリパラに感動し、悲恋物語に涙し、闘病する人に声援を送る。
当の本人にしたら、与えられた命を与えられた姿のまま生きているだけ。人とワンコを一緒にするな」とお叱りを受けるかも?ですが、肛門丸出しのまま生きているワンコもそれは同じ。まあ物言えぬものは感動される対象になりがちですな。
感動するのは悪いことじゅない。でも、その涙。どこから来てる?ぐらいは、ちらっと考えてみるのもいいかも。
昨夜私が聞いたのは、フジコヘミングの「革命」(ショパン作)
「彼女は難聴ゆえにミスタッチが多い」というかたもいる。一方で「難聴のピアニスト」と称賛する人もいる。
確かに楽器を奏でることが生業の彼女は「難聴」という状況に置かれた時、命の血が流れただろう。
コンサート会場で2度聞いた「革命」に私は身震いし涙した。
で、久しぶりにスピーカからの「革命」。うーん、やっぱり好きだ!何年経とうと好き。加えて、頭の隅にあった「彼女が難聴である情報」は、きれいに消えてました。
要はフジコヘミングの「革命」が好きか嫌いかだけのおはなし。
でも、「感動」を商品としてパッケージし、消費していただきたい側の人間は、きっかけづくりとしてやっちゃうんだな。
「難聴の・・」「盲人の…」「片足の…」「自閉症の…」ってね。
という私もデビュー作「千夏ちゃんが行く」の表紙でド派手に顔をさらしましたけどね。
「おかん、中途半端な写真やな。頭に△のつけて千夏ちゃんが逝くってするか、まっぱ(だか)になりゃよかったのに。しかも指が2本動けば夢が叶うってこれ何」と息子に問われ、
「そっそれは福本さんどうやって原稿書いてますかって聞かれた時、左手は親指で右手は人差し指を使ってますって答えて…」
「あはははーおかん、ぼけつ掘りまくり」お腹を抱えて笑っていた息子は、この時何歳だったんだろう。
新聞に少しお顔をのせていただけたものの、電車の広告板には出ず…
笑い続ける息子は、今年たしか32?歳。「おとんの誕生日に一人はさみしい」って初めてラインで告げる。14年経つと泣けず、なんだかもやっとしとるんよ。おかん。