第42回 ルッキズム イズ マネー (・・? 前編
―季刊誌しずくより転載―
こやつは「かわいい」といわれようが知り合い以外には媚びない。エレベーターの中でも枯れ葉舞う坂道でもホテルのフロントでも素知らぬ顔だ。
そして、どんなに「かわいいー」と言われようとも野糞をいたす。ただ、その時は集中したいのか、人の気配がないことを確認する。で、すっきりの後は「やったぜ。ベィビーほいほほいー」という顔で猛ダッシュを数往復。
今は飼い主腰痛につき家便が基本になった。家を駆け巡るワンコの横を6輪車いすで足こぎし、ウンチの場所までさささー。ブツをふんわり掴む技も身についた。あっもちろん素手と違うよ。あっははは。
すっかり家主顔のこやつも早いもので春には2歳になる。トイプードルがこんな生体だと少しでも体験していたら「かわいい」だけで家に迎えたんだろうか?うーん正直微妙だ。
ペットが癒しというのは、元気に動ける人のセリフだと思うもの。おっと年寄りの本音。許してちょ。
でもでも、手足が動かない言葉が出ない人が、ワンコと生きることを諦めるのはそれも違う。絶対違うって思います。
実は私、ワンコと暮らす体験がしたくて、保護犬を短期間だけお預かりしたいって申し出た。いくら能天気な私でも、命あるものを簡単に飼う勇気はなかった。障害者という見てくれの状況とワンコ初心者ということを察すると、なかなかワンコなぞ託していただけぬとは思いながらも。
まあ、保護犬にとっても一度家族に裏切られているんだし、捨てられるのは金輪際御免被りたいだろうしね。そこは慎重にならざるえないんでしょうが。
で、案の定ご縁はなく、それから、ペットショップに通い2年。あっペットショップに陳列されたワンコって日がたつごとにお値段が下がっていくんです。
なんとなく元気がなかったり、よく吠えてるワンコがあれやこれやと言う間に半額になる。
数か月後のこの子たちの命は…と考えた息子は「おかん・一番安い不細工なワンコにしよう」とご提案。挙句にそんなにお金出すんやったら俺この子がいいと猫を推しだす始末。えー。あんたも私も猫アレルギーなのをお忘れか(・・?
亀は触れず、ウサギの毛にむせ、猫は動きが激しい。で、ある日えええーいと、カネに物を言わせ、VIPルームにいたいっちばんお高い、いっちばんかわいいワンコを連れてきてしもた。
ペットショップではお金さえ出せば飼い主の見てくれなぞ問われない。平等にクルクルお目目のトイプードルの温かさに触れさせてくれる。客は、こやつたちがオリから出してくれた人の胸の中に、するんっと飛び込む習性があることを知らない者がほとんどだろう。だから、ペットショップのお姉さんが言う「運命の出会い」なんてないない。うふふっ。
でもでも3日一緒にいたら手放せなくなるのもワンコ。そして、どんなワンコもうちの子が「いっちばんかわいい」になる。
だから、たぶん、私はどんなワンコと出会おうと一緒に時を重ねていたんだろうなと思います。
「なに言ってんの。始終あんたの心配してあげている私やから、聞き分けがいい病気知らずの私やから、今日まで一緒に暮らしてこれたんよ」飼い主の車いすの上で薄目を開けたワンコの心の声が…
まあ確かに、こんなに楽しくて、こんなにずる賢くて、すばしっこくて、毎日ドキドキはらはらさせてくれる生き物は他にいませんわ。