第47回 猛毒婆さんにご注意あれ!? 前編
(季刊誌 しずく より転載)
コロナが世を賑わせてから4年・めっきり足腰が弱り、しっかり体も動かさず、うっかり年を重ねたご老人は多いと思われる。若い頃から老人のような体で生きている私もご多分に漏れず。あーあ、去年の秋頃からは坂道を下るような速さで老いている。
できていたことが段々できなくなっていく。悲しいし悔しいし切ないから認めたくない。そんな母の思いも身にしみてわかるようになった。
けれど、90歳のプライド高い動けない母を、92歳の腰低く動ける父がサポートしている。一応社会福祉大学を出してもらった娘としては、見るに忍びないものを感じる。なにか起きる前になんとかせねばと、ここ10年程ずっと考えてきた。が、私が必死に手配する給食サービスも自費でのヘルパーサービスも、あっという間にお断りする。それも、私には一言も告げずにだ。ご縁が続いているのは「お友達キャンペーン」で紹介した生協さんだけである。それで事足りているのならよいのだけど、外の空気にも人にも少し触れてほしい。
もともと社交的な母である。デイサービスのアイドルになることは間違いない。温厚な父はヘルパーさんにも受けがいいはずだ。でも、2人の愛の巣には誰も入れない。
「あーあー困ったもんだ」と、お年寄りとかかわる仕事を長くしていた友人にご相談。
彼女は隔週の日曜日にワンコを少し外に連れ出し、私に鍼灸やリンパマッサージを施してくれる。
この日、彼女は、私の体も温まり足腰の痛みも少し緩和したのを確認し「今日なら千夏さんも動けそうね。どう?ワンちゃん連れておばあさんのところに行ってみない」と提案する。「うーん」とyesともnoともつかない曖昧な返事をする私に代わって、外出準備を始める彼女。
わちゃーワンコも行く気満々やん。ルンルンな顔で私をみあげとる。電車でひと駅〜の徒歩3分。快脚だった頃は、時間ができると、母が好きなものを手によく訪ねた。
が、今は家の中ですら押し車を支えに移動する私。とおーい実家になった。年末に息子と少し顔を出したきりだ。あの時は確か孫の顔も忘れ、インターフォーンもなかなか開かず、通りがかりの方に事情を話しエントレスを通過したんだっけ。前回を教訓とし、この日は父に連絡を入れ、雛ケーキを手に久しぶりの訪問となった。友人に支えてもらいながら、ドックカートにしがみつき1歩1歩。もおう私ってなんて親孝行なん( ´∀` )これであんた誰?みたいなお顔をされたら、親子の縁きったるど( ゚Д゚)
で、玄関に体をなだれ込ませた瞬間、母から出た言葉は「千夏」ではなく、ワンコの「りか!ようきたねー」
「あのさーこいつはドックカートでゆらゆらしてただけ。えっちらおっちら歩いてきたのは私」とはさすがに還暦過ぎた娘は言わないけど。そういえば、私は母のお褒めの言葉をもらったことがない。まっ今さらなんだけどね。でも、靴を脱ぐにも人の協力がいる私に「千夏。ええとこに来てくれたわ。洗濯してくれへんか」と言うのは、毒親を超越。もはや猛毒婆さんじゃん(笑)まあ、母の中での私はいつまでも元気な千夏なんでしょうが、時間は残酷にすぎてるんよ。
「洗濯ってさっき俺がしとったやろ」とここで父登場。「そうか?」と首を傾げる母に「こいつ、自分でなにもせんもんやから」声のトーンから疲れは感じない父だが…
(後編に続く)

桜もええけど小米桜(ユキヤナギ)
花言葉:「静かな思い」「気まま」