第10回 乙女の経験4 社会福祉ってなんやねん(・・?
「千夏、社会福祉学科って何の勉強しに行くねん。年寄りには親切にしましょうとかか?よう知らんけど、お前、なんか違うんちゃうか…?」
卒業式の日、彼は「3年間思ってくれてありがとうな。俺、来年あたり結婚すると。遊びにこいな。お前は妹みたいなもんやから」と加えた。「そのセリフ、うちだけか。お に い ちゃん」ニカッと返した。「あっはは、お前は…。まっ福祉って何かわかったら教えてくれよな」
彼に手を振り40年経つ今も、この答えを見つけられずにいる、
そもそも福祉の道に進もうと思ったのは、高校一年の時。テレビに私よりお困りごとが多そうなお助けマンが始終いりそうな同世代の子が映っていた。母は見て見ぬふりをして画面から離れだが、私は釘付けになった。私は母に「あんたは普通の子」といわれ、普通の子しかいない世界で大きくなった。自分と同じキャラ名を持つ人を、とくと見たのはこの時初めてだった。
脳の損傷個所が数ミリ違うだけで彼女と私の運命はいれかわっていたかもしれない。
気の毒にという同情を超えた、身代わりになってくれたというおかしな罪悪心が、まだ元気だった体に瞬時に沸き立った。
そして、この子たちと一緒に生きようと、私は誤った決意をしたのだった( ´∀` )
自身何らかの特徴ある体で、社会福祉を志す子って多かれ少なかれそんな思いからではなかろうか。今の若者はわからぬが。
臆せずに加えるなら「ご不自由そうなこの子たちと一緒に」という思いは、「この子らは私を責めない」という安心感も含んでいる。あの時の私は、そんな自分の弱さに気づいてさえなかったのだ。
そして、彼はそれを見抜いていたのかもしれない。
俺もお前も、お前が言うハンディがある子供も社会的弱者や。強くはない。が、そんなにへなちゃこでもない。これからも、めっちゃ幸せではないやろ。けど不幸でもない。19歳で社会人・家庭を持ち、二十歳で父親になった彼は、生きる上での自分の哲学がすでにできていたのだ。
とにもかくにも、私は文学部・社会福祉学科の学生になった。毎日がカルチャーショックだった。まずは学生の反応だ。私が階段を上がろうとすると両脇を抱えようとする。トイレに行こうとするとぞろぞろと後に誰かが来る。最初はきっと彼女たちは女子高育ちでこれは友情の証だと思っていた。が、どうやら違う。これは介護?みなさんご不自由そうな私のお世話をかって出ている?ついこないだまで、「普通の子」に混ざり、男の子を奪い合い、理不尽なことには一人で立ち向かっていた私が、福祉学科に来たら「要介護」者になった?
えっ?!と一人爆笑した。そんな様子を動じることなく見ていたのは、今や部下を数人持つ何でもテキパキできる直美ちゃん。「障害を持つ人のお役に立ちたくてこの大学に入ったんだけど、障害者にもいろいろいる。もーう悪党の千夏っちゃんに会っていなかったら」と卒業後はライターになったのんちゃん。唯一今も交流がある彼女たちと、還暦(来年)は沖縄で琉球踊を舞うことが私の夢だ。
キャンプや訪問活動の体験を通して、私たちは障害児者のしたたかさもしなやかさもずるさも懸命さも学んだ。それは、人間とはなにか。私は何者でどう生きるのかという自問の時間だったように思う。
あなたは今しあわせですか?