第57回 押しロス〜の「姑デビュー」
いよいよ、息子と去年から一緒に暮らしている彼女さんの両親との顔合わせである。
「えっどこで会うの?」「何着ていく?」「カット予約は?」私は急にあたふたしだす。
美容室では断髪式にふさわしい♪プライド(今井美樹)♪私は今あなたへの愛だけで笑って泣いてる♪が流れた瞬間、涙がぽろぽろ頬をつたう始末。「失恋でもしました?」お会計で聞かれ、「まあね。息子がね結婚するの」
「あははは。押しロスですか? 次は…千夏さんがいってやりましょ」美容師さんに髪も心も整えられて。
顔合わせ当日
時間が迫る。なのに息子は帰って来ない。「彼・相変わらずやってくれますね」17年間、遠まきに私たち親子を見守り続けているヘルパーさんの助けを得て、駅前でタクシーを捕まえて息子を待つ。なにが、おかんは家で待ってて。俺が迎えに行くからやねん。
ホテルに飛び込むタイミングで、「おかあさーん」と彼女さんの声が後ろからする。
ふた昔前なら、「障害者がいる家にわざわざ嫁がんでも…」なんて言われただろう。
が、今はそんな思いもぐっとお腹に押し込めて「プロポーズをお断り理由がない」と言わざるえない時代である。障害者の被害妄想だと言われてもさ、肌で感じてしまうのよ。健常者の不安な思い、お察しいたしまする。だけど、その不安感は私もまた同じ。なんせこちとら姑だい。大事な息子を人質に取られる感覚は拭えないのだ。きちんと食べているだろうか?快適な寝床なんだろうか? しっかり者の彼女さんゆえ、結婚したら聞きにくい。
それに、これ受験生の父母の集いなん? 中三担任で「今、私立高校の受験生を引率してきました」という息子の話を皮切りに、卓球と偏差値の話に花が咲く。あちらのご両親は卓球とゴルフがお好き。息子も卓球の顧問がしたくて中学の理科教員になった。まっ可愛がっていただきなさい。
「卓球とゴルフの違いは?」なんて聞いては見たもののこっこっ腰が痛―い・
ホテルの身動きできぬ椅子で全身緊張。カキーン。これなら息子の常識外れの提案を受け、寒空の公園カフェでの顔合わせの方が良かったかも。犬を出しに自分のタイミングで立ち座りできるし、話もぜんぜん違うものになっていたかもしれない。
そろそろ立たんと足が拘縮して最初の一歩が出なくなる。「皆どんな会話をし、どんなふうに話を終わらせているんだろう」と少し聞き耳を立ててみるが、ホテルのラウンジはよそ様の会話なぞ聞こえない。うまくできておる。
「すっ素敵なご縁に感謝します。本日は…」私のハスキーボイスに時間の経過を察したのか、90分の父母の集いはお開きー。
幸せな家族らしく見える父母と娘の3人に別れを告げる。まっ、隣の青い芝だけをみるお付き合いもよし。垣根を超えしっかり知るもよし。これまたご縁のものである。
仲人さんとかご結納という言葉自体知らず「猫の日」に出すという猫のイラスト入りの婚姻届け・保証人欄にお顔合わせのこの日、名前を書く。
まあね、多様性という言葉はなにも障害者の専売特許ではないのよね。
猫好きな娘さんにも、スポーツ好きな中高年にも、時々突飛なことをする若者にもそれぞれの「多様性」がある!そのことをかみしめる「姑デビュー」なのだった。