第48回 猛毒婆さんにご注意あれ!? 後編
(季刊誌 しずく より転載)
ワンコも伴い、鍼灸師の友人と実家を訪ねる。腰痛を訴える母に寄り添えるのは、彼女の人徳と人生経験によるものだ。ゆうるい空気を一瞬にして作り出し、彼女は寝室に入り鍼治療をしながら母と会話を始める。
帰る道すがら、彼女は私を諭す。「お母さん確かに普通ではないよね。普通の人なら同じことを何度も繰り返し聞かないもの。でも10年かけてあの感じならいいよ。ここで他人の手を加えようものなら、心乱れて今の生活が崩れることになりかねない。認知症の薬も合えばいいけど、服薬で回復した人を私はみたことがない。静かに見守るのがいいと思いよ。なにかあったら、その時考えよう。だいたいみんなそんな感じで生きてはる」
「そう?」腑に落ちないまま返事をする。介護保険料を払い続けていることにも気づかず、他人の手を借りずに生き抜く気迫があるうちは、こうして時折友人の助けを借りて、静かに見守るしかないのかな。
「障害の娘が人様のお世話になって生きている。私までご迷惑をかけては申し訳ない」と、まだはっきりお顔に書いてあるもの。まあ、心から染み出るタツゥーのような文字は、誰が何を言ったとて生涯消えはしないだろうが。
「新しい出来事を受け入れること」や「人との出会い」は、ものすごい勇気と大きなエネルギーが必要なのだ。
でも、家族のサポートがない私は、「えいや」と勇気を振り絞る。ちびワンコが静かに見守っていてはくれるけれど、こやつは脱げかかった靴下を引っ張るくらいのもの。
暖かくなれば痛みも動きも和らぐはずという甘い期待も捨てて、自分で頑張るという根性も心の片隅に置いて、10年ぶりに「介護体制の組み替え」に労力を使う。
が、夕方〜の夜の時間帯はどこの介護事業所も先約済み。「独りだしハナクソほじほじお尻カイカイしていても誰に迷惑かけるものか」という美意識の低さも手伝って、まっいいかと半ば諦めていた。あの日までは…
空に白いものが舞う日。顔を出した息子にワンコを託してゆったり湯船につかる。がちんがちんになった下半身も緩んでいくのがうれしくなり、つい足をばたばたさせて…
スコンっと足を滑らせた。おっ溺れるぅぅぅにいちゃぁぁぁんー声にならず、必死で湯船を手で叩く。すぐに浴室が開かれ「落ち着け、おかん足着くって」きょとんとしたワンコを抱いたニヒルな笑顔を浮かべ立つ息子を、私はやっとの思いで顔をあげ、みた。
恥ずかしまぎれに「あんた何か仕掛けたやろ」素直に「素早いご対応ありがとう。あんたがいてくれて助かったわ」とは言えない。あかん。私も猛毒婆さんの血を引いてる?!
「なんか浴槽でやっとるなーやばいわーと思いながら耳はすませてたからな」冷静に言う息子に
「おー成長したなー」偉そうに言う私。彼は急速に老いていく進化中の母に「おかんもちぃーとは…成長しろよ」なんて言わない。
風呂から出て、服を着、薬を飲み寝室でワンコと横たわるのを見届けると去る。
まるでこの日がやってくるのを予期していたかの如くである。
夫が逝き、16年。私も静かに見守られてたんやー。
「母がお世話になります。よろしくお願いします」夜の時間にご縁があった事業所に自分の連絡先を告げる息子に。

キルタンサス
花言葉 : おじぎをしたような姿から
「屈折した魅力」「恥ずかしがり屋」