第44回 年の初めに頑張ってみたこと
はたと気づけば、節分を迎えようとしている。年の初めに頑張ってみたことは、すべて三日坊主。断捨離なんて2日も続かなかった。相変わらずのテレビをお守りする飼い主にワンコも呆れ顔だ。
強いて続いていることと言えば、用を足した後のトイレでの立ち座り5回腿上げ10回と、レンタル料を払ってビデオを観る事くらいのもの。決して無料配信だからいまいちというわけではない。これは私の観る態度の問題だ。タダほどありがたいものはない。が、せっかく感動を得られるものもどうもダダだと観流している気がする。映画のタイトルも観た瞬間で忘れ、数か月後に同じものを観るはめになる。さすがに10分位のところで気付きはするが、こんな時はなんとも悲しい気持ちになる。
が、おかしなもので100円〜500円支払えば、最初から腰を入れて観る。タイトルも頭の中に記憶しておこうなんて頑張らずとも、レンタルしたものはパソコン履歴に残る。
だって、ほれほれ。昨日観た「梅切らぬバカ」自閉症といわれる特性を持つ主人公とその母が、周りの人と攻防しながら繋がっていく映像のいくつかの場面はまだ記憶にある。
でも、ほれほれ。元旦に観たタイトルは…。「太陽の子」だ!と、すぐに調べがつく。
大晦日、ワンコと第九を聞きながらウトウト。明け方目が覚め、風呂に入り二度寝。お昼過ぎに初うん〇にまみれたワンコを洗い、早い夕食を済ませたら日が暮れた。すんばらしく平和な元旦。なんだか、このゆうるい空気が逆に恐ろしくなり、映画「太陽の子」を観たんだ。太平洋戦争中の日本にも存在した“原爆研究”を背景に、時代に翻弄された若者たちの思いを描いたもの。頑張るメンズ二人を抱きしめる女子の叫びが心に刺さった。「戦争なんか、はよ終わればいい。勝っても負けても構わん」こっこれはおんなにしか言えない!
もっともっともっと女々しい男が増え、男前な女が増えたら平和な空気に安堵できるかなー。との独り言をあねご(中山千夏氏)に聞かせたんだ。
こんな年明けになったのは、きっと最近知り合った方の影響だ。80歳過ぎた彼女は「隣り村」という季刊誌を発行している。冊子と言う類ではなく、立派なご本。つたない文章を本にしていただけた経験から、本作りの大変さも楽しさも少しは想像できる。本つくりは、筆者の原稿を元に編集あるいは校正をする。表紙を装丁する。印刷する。販売営業と販路確保。みんなの痛烈な意思が重なって一冊の本は世の中に出て行く。こっこれを一人でやってのけるとはスーパーサイヤ人級のパワーの持ち主に違いない。丁寧な寄稿依頼のお手紙と一緒に送られてきた「隣り村」のページをめくる。「アイヌのこと」「水俣のこと」「戦争のこと」を学問に基づき、先生たちは日本が残した難しい宿題を解く。そんな息遣いを感じる。漢字の少ない私の原稿は、ちと場違いな気もする。
でもでも、「女は政治を語るべからず」という男尊女卑のぬうるい沼の中から、たまにはお顔をだしてみよっかな。80歳を過ぎた自分の姿なんて想像するのもおどろおどろしい。
が、にこにこと微笑むだけのおばあちゃんを目指していたらあかん気がする。

今年もマイペースな歩み・引き続き、見守りいただけたら嬉しいです。