Vol.22 ハンガリー その(2)
流れの中で変わるもの変わらないもの
イルディコのホームタウンであるブダペストへは、仕事も含めて4、5回行っている。ドナウ川が街の中心を横切っている。最後に行ったのは十数年前で、そのときは音楽のツアーの途中で時間を作って、イルディコに会うためにウィーンから列車で向かった。以前よりもハンガリー内を走る列車のスピードが、断然速くなっていたのに驚いた。そうだよね、ハンガリーもEUに加入している。急がなくちゃ、追いつけないか。
彼女が駅まで出迎えてくれた。娘のフローラを拾ってから家に戻るという。
フローラは12才で、この日は学校が終わって、フェンシングのレッスン。大きな体育館に、いっぱいの子どもたちが練習している。5、6才から高校生くらいまで、100人はいるかな。こんなに大勢がいっぺんにフェンシングをしているのを見るのは初めてだ。フローラたちをコーチしているのは、オリンピックの金メダリストだそうだ。フェンシングはハンガリーの国技のようなものだ。伝統的に強いし、多くのメダリストを輩出している。
話は逸れるが、イギリスにいた頃、1年間、週に1回だけだったけど、フェンシングをやっていたんですよ、私。息子の通っていた学校は上のクラスになると授業でフェンシングがあるので、備品もちゃんとしていた。夜に大人のクラスがあるというので入れてもらったんだ。白いウエアは厚手だったし、30分もやるとマスクの中は汗だくで、相当な運動量だったけど、楽しかった。性に合う、と言うんですか? 審判器もあったから、リールを付けて試合もよくやった。日本に戻ったら続けたいと思っていたのに、日本ではフェンシング自体が非常に特殊で、簡単にどこでもやれないとわかってがっかりした。その後、太田選手がメダルを取ってからは状況は変わってきてるかもしれないけど。
フローラはなかなか筋が良さそうだ。フットワークがいい。練習が終わって、駆け足で戻ってきた。
今、イルディコは二度目の夫とその娘(大学生)、フローラ(前の夫の子ども)と小さな息子(今の夫との子ども)の5人で住んでいる。彼女も夫も教師をしている。思えば、3人の子どもたちは、それぞれに父親と母親が違うわけなんだよね。でも、それがどうした。
翌朝、私は一緒に学校へ出かけた。このハンガリーのシュタイナー学校で、以前合宿したことがある。イギリスの体操のコースの合宿。このハンガリーにも同じコースがあって、同じ英国人の先生が教えている関係から、合同合宿となった。何だかとても懐かしい。

事務室や図書館で、何人かの知った顔に出会って、やあやあと挨拶。エマソンで学んで、その後ハンガリーに戻って教師になった同窓生たちだ。そのひとり、ラズローが、今から8年生の英語の授業だから手伝ってよと言う。えー、英語?無理だよぅ。まあ、いいからいいから。
ラズローとは体操のコースで一緒だったから、よく知っている。イギリスにいた時、彼は息子の学校の体育の助手をやっていた。すっくりときれいに立てる人で、運動神経も抜群だった。コースが終了して最後のプレゼンのときは、ラズローと私とベリンダの3人で、エマソンの学生の前でパフォーマンスした。それから10年が過ぎて、相変わらずラズローのポスチャーはきれいだったけど、経験を積んだ落ち着きがその横顔に見えた。変わらないけど、変わったね。多分、私もあなたも。
英語の授業といっても、机についての授業じゃなくて、ぐるりと丸くなって立ったまま。すごくテンポがいい。ティーンエイジャーたちは例によってやる気のなさそうな顔をしていたが、ラズローがリズミカルに言葉をまわしていくと、みんな引き込まれて次第に声が大きくなる。言葉遊びを英語でやる。私は出る幕もなさそうだったので、子どもたちと一緒に英語のレッスン。生徒役は気楽でいいなあ。生徒数は30人くらい。シュタイナー学校の1クラスの人数としては、かなり多い。ハンガリーでもシュタイナー教育に人が集まるようになってきているのだろう。
イルディコの手が空くのを待って、近くの電車の駅まで車で送ってもらう。路面電車の小さな駅だ。車から降りて、別れのハグ。またね。うん、またね。今度は私が日本に行くよ。そうだ、それがいい。
待ってるからね。イルディコの顔が目の前にあった。二人だけしかいない世界で約束した。
それから1年経って日本に大震災が起きた。何もかもが「それどころじゃない」という状況が続いて、そうこうしているうちに今度はコロナだ。でも、そろそろかな。と、なんとなく思う。
ある日、メールが入るだろう。「テンコサーン、I just arrived in Japan!」
考え無しで無鉄砲。イルディコと私の共通項。
驚かない、私は。待ってるから、早くおいでよ。
