Vol.10 ジャマイカ ー 夢は憧れのジャマイカへ♪

 生まれて初めての海外旅行はジャマイカだった。40数年前になる。
 友人のブルース・シンガー豊田勇造がジャマイカに憧れジャマイカでレコーディングをやりたいー!というので、友人一同がその助っ人として同行することになった。総勢20名ほどもいたか。アングラ演劇の小劇団『発見の会』のメンバーが半数くらいで、他は友人たちの応援団で音楽評論家の田川律さんなどもいた。役割分担があって、私はフォトグラファー。それまでほとんど写真など撮ったこともなかったのに、それらしくキャノンAE-1を抱えて旅立った。
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 2月のジャマイカは湿気も少なく、日本人にとっては毎日が爽やかな初夏という気候だった。キッチン付きの大きな家で交代で食事を作りながら、合宿生活で2週間を過ごした。
 ボブ・マーリーのスタジオとジミー・クリフのスタジオを使って、レコーディングは午後からのことが多かった。日本からのミュージシャンは勇造さんだけで、他は現地のレゲエ・ミュージシャン。ギターはチナ・スミス。ベースはギビー、ドラムスはサンタ、キーボードはパブロ・ブラック。これは当時のレゲエ界では錚々たるメンバーだった。彼ら一流ミュージシャンにとってもジャマイカでは楽器や機材は手に入りにくいものらしく、ギターやベースの弦が手に入らないとこぼしていた。ドラムスのサンタは、ささくれたスティックを絆創膏で巻いて丁寧に使っていた。後日談だが、数年後にはにジミー・クリフのバックでそのミュージシャンたちが来日して、コンサートに招待してくれたこともあった。


帰国して、
豊田勇造ジャマイカ録音LP『血を越えて愛し合えたら』が
発売になった。
ジャケット写真にはなんとか私の撮ったものを使ってもらえた。
ジャケットデザインは戸井十月(故)さんが担当した。
後CD化。発売ビレッジプレス。写真はCD版のもの

 幾つかの曲は作りながらのレコーディングとなった。照明をできる限り落とした薄暗いスタジオで、チナがゆったりとギターを弾き始めると、いつも私は幻想の世界に紛れ込んでしまいそうになった。おしゃれなチナは、歯にダイヤモンドを埋め込んでいて、いつも原色の鮮やかなものを纏ったとてもきれいな男だった。
 レゲエのリズムなんて単純でシンプルじゃないのと思い込んでいたド素人の私だったが、勇造さんがサイドギターで弾くとチナから「リズムが違うよ」と言われてくさっていた。ささやかに見えて、かつ決定的な違いが、あののんびりとしたリズムの中に隠されているらしい。
 まだボブ・マーリーが亡くなる数年前で、スタジオは広い敷地の自宅内にあったから、まれに彼の姿を遠く見かけることもあったが、若き俄フォトグラファーの私は、(いま思えば残念無念ではあるが)彼にカメラを向ける度胸がなかった。
 敷地には何もせず1日中ベンチに座っているターバンの老人や、ベルトはしているが締めずにズボンを穿くというジャマイカ兄いの典型のような若い男がいた。ティーンエイジの女の子たちが2、3時間もかけて髪を編んだりしているのを見かけることもあった。一家族が住んでいるというより、一族がいたのだろう。アメリカのNBAの選手みたいに、ボブ・マーリーのように成功した人物は一族を抱えて養うことが普通らしかった。

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 現在は英連邦の1国であるジャマイカに住む多くの人々の祖先は、アフリカから連れてこられた奴隷なのだ。ミュージシャンにはラスタが多いが、ラスタというのは「アフリカ回帰」を礎とした宗教的な運動で、信奉者は酒もタバコもやらないし、菜食主義者が多く、ガンジャ(マリファナ)を聖なるものとし、資本主義などとは無縁に生きている。多くは髪をドレッドにもつれさせたまま伸ばし、赤・黄・緑の3色に金色のライオンが旗印だ。ジャマイカの全人口の5〜10%ぐらいがラスタと言われている。
 ジャマイカには2種類の人がいる。ラスタかそうじゃないか。ラスタは他の人たちと同じように貧しくお金がなくても、どこかゆったり構えていて卑しさがない。私はレゲエの熱狂ファンではないので詳しいことはわからないが、ミュージシャンであるかないかよりも、ラスタであるかないかのほうが人としての違いが大きいと感じた。暮らしの大変さは同じであるだろうに、ラスタの人々の表情には険しさやいらだちがない。
 ある日、ラスタの祭りに招かれた。広い庭のようなところで、DJのかける曲で大勢が立って揺れている。女たちも多い。踊っているというよりも、ゆらゆらと漂っている。いくつもの水パイプからもくもくと立ち上がる煙であたりが霞むようだ。飲み物はこれ以上ないほど甘ったるいジュースで、アルコールは一切ない。薄暗闇の中に、白い衣装の男や女たちがレゲエのリズムでたゆたっている。いつ始まっていつ終わったのか、さっぱり覚えていない。おそらく空気中に漂っていたガンジャ(マリファナ)をしっかり吸い込んだせいに違いない。


ジミー・クリフと若き日の私


 

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Vol.5 スイス ー 美しくて、したたかな国(2021年6月21日)

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(2021年4月27日)
Vol.3 中国ー華流の沼は深〜い(北京)
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Vol.2 スペイン/バルセロナ(2021年3月29日)
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天鼓プロフィール/アーティスト, パフォーマー, ミュージシャン

1979年女5人のバンド『水玉消防団』で音楽を開始。80年代からバンド活動と並行してヴォイス・パフォーマーとしてニューヨークやヨーロッパで数多くの音楽フェスに招聘される。アルバムは日本・アメリカ・スイス・フランス・香港などでリリース。92〜99年、アーティスト活動を続けながら息子を連れ英国留学。シュタイナー理論による4年間の彫刻(アート)コースやスピーチ&ドラマ、空間認識のムーブメントなどを学ぶ。パフォーマンスや美術分野での制作、ヴォイスや彫塑、ムーブメントのワークショップも多い。すきあらば陶芸、有機大豆での豆腐づくり(売るほど)、写真などを楽しんでいる。

 

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