Vol.7 スイス — アルプスで食べて寝る
キャンプが流行ってるらしいじゃないですか。きょう本屋に行ったら、そこら一面がキャンプ特集となっており、キャンプ関係の本や雑誌が20数種も並んでいた。すごいわね日本人。流行らせるとなると容赦ない。
私だって、キャンプぐらいしたことがある。たった1回だけど。
ダニエルが「山で友だちが牛飼いのバイトをしてるから、そこへ遊びに行こう」と誘ってくれた。コンビニとかスーパーとかラーメン屋のバイトとかじゃない。牛飼いのバイト!おもしろい!それだけでもそそられる。行く行く、絶対行く!

チューリヒから1時間くらい電車に乗って、少し歩いて街を出て、そこからどんどん山を登る。と言ってもなだらかな道でダニエルやその友人たちはスニーカーにリュックを背負っている。スイス人の男が3人女が2人、それに私と息子(当時5才)。高地は木が生えてないし、彼方まで見渡せて眺めもいい。雲が流れて行くのを見ながら、その雲が地上に落とす影のカタチを見ることもできる。歩いていくと、道端にくりぬいた丸太に水がたまるようになっていて、その水をごくごく飲んでまた歩き出す、というリズムもいい。水と空気は抜群だ。テントを背負って歩いている人もよく見かけた。気が向いたところでキャンプをしながらあっちへこっちへ行くんだな。
たらたらとしゃべりながら半日のんびり尾根を歩き目的地の小屋に着いた。
夕食だね、ということになるが、小屋には入らない。手分けしてそこいらから木の枝なんかを集めてくる。といってもまわりは木なんか生えてないから、誰かが何かのために使った残りのような太い丸太なんかを集めてきて燃やす。キャンプファイヤーしますよー、みたいな特別な緊張や興奮はない。いつしかスープのようなものが入った鍋が火にかかり、肉もあぶる。そういうことを別に決めたり分担したりしなくても、かれらは自分ちの台所でふつーにごはんつくる、みたいな感じ。慣れている。星はあったが月はない夜で、暗い。お互いの顔もはっきり見えない。暗闇の中で、燃える火の明かりだけですべてが進行する。思いついたように誰かがしゃべったりみんなで黙ったり、それぞれが勝手にくつろいでいる。日本のキャンプの様相と、まったく違う(んじゃないかと思う)。お決まりの椅子もカンテラもない。「快適に」とか「優雅な時間を過ごすために」なんていう装置は一切ない。夜と山と一体となって、ふもとの村の明かりを眺めて時が過ぎる。

さあて寝るかというときになって、ダニエルが、息子が喜ぶだろうからと私たちのためにテントを張ってくれた。その日かなり歩いたせいもあって、あっという間に眠りについたが、夜半過ぎに目が覚めた。風が強くなってぱたぱたと音がするのと、雷鳴が聞こえたからだ。テントから顔を出すと、雨はないが稲妻が光っている。少し離れた峰にくっきり見える稲妻は、まるで天から電流が流れ出してくるようでおもしろかったが、風は次第に強くなるし、私と息子の体重ではテントが飛ばされそうな気配だったので、小屋に避難した。というわけで私のアルプスのテント体験はたった数時間だったけど。
牛飼いのバイトは2日ほど垣間見ただけだが、牛に食べさせるため山のような塩の塊を運んだり、牛が戻ってくると数を数えるため走り回ったり、かなりの重労働に見えた。
私はこれまでになく牛を間近に見た。アルプスの牛はイケメンである。大きな目をしている。からだも大きい。ビロードのような灰色の毛はあたたかそうで、澄んだ空気の中に放牧されているせいか、とても清潔である。いたずら心を起こして、息子を小さめの牛に乗せてみようとしたが、牛も息子も嫌がった。残念。
スイスの牛といえばカウベルだが、これはひとつずつ音が違う。牛がいなくなったり迷子になったときベルの音でわかるように。なだらかな山をゆったりとたくさんの牛が移動するとき、からんころんの音が幾重にも幾重にもにも響いてふわふわした気持ちになる。日が暮れなずむ時間、アルプスの景色を見ながらカウベルを聞いていると、牛といっしょに天国へ向かって歩いているような気分になる。
