Vol.8 チェコ共和国 ー プラハの魔法
いろんな国のいろんな街で胸をときめかせた。出会った人、起こったこと、そして街並みの美しさ。景観としての「美しい街」ということで比べるなら、好きずきはあるにせよ、文句なくプラハはトップクラスに入る。そしてプラハは街なんて言うより、この時代でさえも「都」と呼ぶにふさわしいところだ。
最初のプラハ訪問のとき、到着したのは夕方だった。迎えにきた友人が、夕食にはちょっと早いから街を歩こうと言い出し、旧市街を歩く。夕暮れ時というのはそれ自体が魔法の時間でもある。太陽が沈み、その余韻だけが残っている。すべての色合いが変わる。実体はあやふやに、そのくせ妙に意味有りげな風情を漂わせる。ウソの現れる時間、もうひとつの真実の見える時間、だったりして。
広場へ出るまでの路地を歩き始めてまもなく、思わず私は握りコブシを振り上げ、「いつか絶対に私はこの街に住むからねっ」と並んで歩く友人に力強く宣言していた。実現可能であるとかないとかどうでもよくて、摩訶不思議な強烈な街のたたずまいに酔っ払ってしまった。それに、そう宣言しておけば、もしかってこともあるかもしれないじゃん。
こんな街、見たことがない。驚いた。
白亜の壁がほんわりとライティングされた街路、中世の香りを色濃く漂わせる幻のような街並み。ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、ロココ、あらゆる古典の建築様式が入り混じる。まぎれもなく夢の世界。石畳を歩きながら芝居のセットにいるような気分になる。曲がり角から現れるのは、裾をひきずりながら俯いて歩く黒いヴェールの女、であっても不思議ではない。というより、そうあってほしい。そっちが正解! 残念ながら実際にはヘッドフォンを付けてシャカシャカ音を漏らしつつ、からだを揺らせ歩くジーンズのティーンエイジャーの群れだったりする。これが観光都市の愉快なところでもあるとうなずきつつ、ひるまず私は空想をめぐらす。プラハは、気を削ぐリアリティをはね飛ばして、空想も妄想もしっかりと受けとめてくれるだけの貫禄のあるおとぎの国だ。ぺらぺらのレジャーランドなんかと比べるなよ。だからして、この究極の物語環境に溺れなくてどーするんだね!
友だちは「開放されてからどんどん壊されたり建て替えられたりで、プラハもすっかり様変わりだよぅ」と残念がる。1989年の民主化以降、西からの資本が入り、東欧は激変した。暮らしも経済も着るものも食べるものも建物も。おそらく一番変わったのは人の心。それでもプラハは千年に渡って生きながらえてきて、簡単に変えることのできない空気を身に纏う。百年も使ったモノはモノノケになると言うけど、プラハには大妖怪の風格がある。
冬に訪ねたときには、どか雪が降った。ああ、寒い寒い。おかげでカレル橋のずらりと並んだ彫像にも雪が降り積もり、シルエットを変え陰影が付いて思わぬ佇まいを見せてくれた。何だか得をしたような気にもなったが、歩き回った足は凍えそうだった。プラハで凍傷かいっ。こんなときにはカフェでホット・ワイン(赤)を飲んであたたまるべしである。足先じんじん。ホット・ワインというメニューはチェコならどの店でもあるというわけでもないようだったが、珍しくもないらしい。薬草のような香りがする。
そういえば、今ではこのシステムは無くなったと思うけど、何度かチェコを訪れた90年代、レストランやコンサートのチケットなどはダブルスタンダードだった。つまり、同じ料理でも収入が少ないチェコ人には安く、観光客である外国人には高い値段が設定されていた。いつもチェコ人の友人と一緒だったから安い料金で支払われているようだったけど、奇妙な体験だった。外貨を稼げる観光都市プラハの苦肉の策だったのだろう。