Vol.1 スペイン/バルセロナーパリ
この1年、公共の交通機関は利用してない。移動は車のみで。あーもう、電車の乗り方とか切符の買い方とか、忘れちゃいましたよ。
そういえば、タルゴの夜行列車でバルセロナからパリまで旅したことがあったなあ。スペインの開発した列車Talgo(タルゴ)は、行き先によって違った名前がある。バルセロナ・フランサ駅とパリのオステルリッツ駅を結ぶ列車はジョアン・ミロ号。マドリッドからパリ行きはフランシスコ・デ・ゴヤ号だし、マドリッドーミラノを結んでいるのはサルバドール・ダリ号。いやだー、かっこいい!世界に名だたるアーティストだらけのスペインだからこんな命名が可能なんだ。
その時は特に何か目的があったわけではない。「タルゴに乗ってパリに戻る」というのが心をくすぐるいい響きだったという、それだけのこと。実際「乗り鉄」でもない私にはタルゴもごく普通の列車に見えた。
指定のクシェット(簡易寝台)の客室にいたら、若い3人のグループ、年配の2人連れが乗り込んできた。皆、女性。男女で客室を分けているのだろう。私は窓際に座ったまま、軽く頭を下げた。若いグループはとても陽気。パリに遊びに行くのかな。おしゃべりと笑いが途切れない。年配のふたりもにこやかに会話している。
初夏のヨーロッパは日が長い。夕方の発車だったが、まだ陽は高い。まれに町を過ぎることもあるが、パリへ向かうこのルートの始まりは、木も生えない荒れ野を列車はひた走る。緑豊かで山や川や湖の多いドイツやスイスの景色とは全然違う。
空は青い。青く澄んでいる。太陽は容赦なく照りつける。申し訳のように灌木が生えている。地面はオレンジ色。乾燥した空気が見える。空冷の効いた車内にいるのに喉が渇いてくる。細くて小さな道が、私の知らないどこかの村へ続いている。列車は走る。魔法でつくられたような小さな池。1本だけ地面にしがみついて斜めに立っている小さな木。農夫のような男がひとりで歩いている。何も持たずに。一瞬の風景が数珠つなぎで流れていく。空はまだまだ青い。むき出しの空虚。
外を眺める私の頭には何もない。見えるものを追っていただけだ。悲しくない。嬉しくもない。それなのに気づいたら目から涙。身動きができない。晒されている?何に?ここには何もないのに。
気づいたらまわりは静かになっていて、心配そうに私を覗き込む顔があった。大丈夫?何か飲む?このお菓子食べない?そんなことを言いながら彼女たちが私に話しかける。ああ、大丈夫です。どうもありがとう。やっと、そう答えたけれど私の涙はとまるつもりはないようだった。早口のささやき声が交わされて、優しい乗客たちは次々にそっとコンパートメントを出て行った。
見えない何かが私に触れた。それはとてもゆっくり柔らかに私を包んで、意味も教えずに私を揺さぶった。途方に暮れて、ただ私はそれに身を委ねるしかないのだった。
陽が沈むまで泣き続けた。
きっと列車の通路で、彼女たちは突然泣き出した東洋人についていろんな想像をしたに違いない。何か悲しいことがあったのかもね。もしかしたらバルセロナで恋人と別れたとかさ…。
何もなかったのよ。ただ、わけもなく泣けた。それは感動の変種なのかもしれなかったけど。何かに出会った。素晴らしいと声を上げるようなものではなく、どちらかと言えば胸が苦しくなるようなものだった。
そうか。あそこは神様がいる土地なのかもしれない。ピカソやダリやガウディが生まれたのは、あの土地だったからかもしれない。私は勝手な解釈で腑に落とす。

翌朝の車窓(フランス)