Vol.9 チェコ共和国 ー 虹を追いかけて
チェコの友人の実家がオストラバという街にあって、そこを訪問した時のこと。
けっこう賑わっている古道具屋で、それは私を待っていた。それなのに買わずに店を出たのはなぜだったか。どうかしていた。50センチほどの、木製のマリオネット。骸骨のマリオネット。黒いマントだけがシルクの布。頭蓋骨はいい面構えで、私を横目で睨んだ。黒い底なしの空洞に威嚇された。高かったけれど、買えないというほどではない。なのに二の足を踏んだのは、ケースの木箱がしっかりし過ぎて重かったからだ。このとき片手には7才の息子の手を引いていて、仕事で使ったギターや機材がホテルに置いてあった。まだ旅が続いていたし、これ以上荷物を増やす訳にはいかないのだ。後になって考えてみれば、しっかりパッキングして郵送すればよかったのだよ。疲れていて、頭が働いていなかった。重い、と思った瞬間にあきらめた。マリオネットの本場の国でなければ簡単に見つけることなどできないものだったのに。いや、恐らくチェコでも決してありふれたもんじゃないはずだ。しかもプラハだったら、その3倍の値が付いていただろう。
ふつう、いいなと思うものがあってもその店を出て次の店に入った時には、もう残像が残っているだけ。一晩寝れば忘れている。それに準じるようなものが他にもあると思えば執着もわかない。だいたい、本当に欲しいものは私の財力では買えない、というのはわかっている。美術館で警報機付きのガラスの中に収まっていたり、国宝だったり。欲しいと思って買えるものはめったにないのに。
あの骸骨マリオは、これまでの人生で、買わないで後悔したものベストワンである。どうしているかなあ。ま、いいけど。実体はここにはないが、イメージは捕まえてある。時々私の中で動き出してダンスをしたりしてくれるから。
この時の訪問は夏で、友人の両親の持つ山の別荘に出かけることになった。特に裕福でもなく、ごく普通の暮らしをしている両親のようだったが、「山の別荘」くらいは持てるのがチェコの一般家庭では当たり前なのだった。これはハンガリーの広い庭付きの家を持つ若い友人家族を訪ねたときも思ったが(その友人は作曲家で国からの援助で暮らしていた)、日本人はあんなに真面目に働いているのに家や別荘を持つことさえ簡単じゃない。90年代など特に日本は世界に誇れる経済大国であったはずだ。日本という国は絶対に何かがおかしい、を何度も実感してしまう東欧の旅である。
車でその別荘へ向かう途中で虹を見た。虹があっちにもこっちにも。信じられないだろうけど、3本。トリプルレインボーって、ありか?「虹の始まるところ(終わるところ)には宝物が埋まっている」というのは心をくすぐる言い伝えである。追いかけようか?どの虹にする?いきなりトレジャーハンター気分になって、きょろきょろしてしまう。チェコにはえらく宝物が埋まってるんだな。
別荘に数日滞在した後、友人が山を越えてポーランド近くまで行くプランを立てた。なあに1泊2日だ。でも1日2〜30キロを歩く。生まれて初めて野宿した。朝目を開けたら、カモシカらしきものが山を駆け上がっているのが視界に入った。ハイキングしながらどこまででも歩く、みたいなことがごく当たり前のレジャーっていうのは、さすがに資本主義国家を長くやってる国とは違うなと思う。山あり谷あり草原ありをてくてく歩くと、たくさんの人とすれ違う。結構なお年寄りから子どもまで、あいさつを交わしつつ。
「こんにちは」はチェコ語で「ドブリデン」と言う。他の言葉は何ひとつ覚えてないが、ドブリデン!だけはとっさに言える。