Vol.4 中国ー腰抜け女の作り方 青島(チンタオ)

 初めての中国旅行は80年代中頃だったか。日中国交正常化が1972年だから、それから10数年後くらい。まだ中国旅行が解禁されて間もない頃で、個人旅行はもちろんダメで、きちんとしたガイドを雇わないと観光旅行もできない時代だった。私はその前年、雑誌の取材で(当時エディターをやっていた)上海・蘇州・杭州を1週間ほどでまわり、当時のレトロな中国がすっかり面白くなってしまっていた。取材では、観光地はもちろんだが、結婚式に出席したり、仕事場や保育園、一般家庭を訪問したりとなかなか充実していて(もちろん中国政府が外国人に見せてもいいものをセレクトしていたのは間違いないが)帰国して友人たちに中国の話をしているうちに、皆で行こうぜと盛り上がってしまった。気がついたら10人以上の手が上がっていた。

 取材のときに行かなかったところにも行ってみたいと言ってあったので、上海などの他に青島もコースに加えてくれた。ただ青島は外国人観光客の受け入れが始まったばかりだから、多少の不備はあるかもしれないという話だった。
 貸切バスで山にお寺を見に行き、もちろん青島ビール工場も見学に出かけ浮かれ気分でビールを飲んだ。近所の人たちは鍋持ってビールを買いに来てた。

 出発の前日に観光局の接待で食事会が開かれた。いかに外国人観光客が珍しい時代であったか。ランチであるがフルコース。挨拶があって、乾杯! また挨拶があって乾杯! 切り子のミニチュアのようなグラスで、乾杯!でグッと飲み、さっとグラスをひっくり返して飲み干したことを示す。地酒だがマオタイと同じような、精製されて純度の高い強い白酒。50度くらい? ちょっと口を付ける程度にしておけばよいものを、私は乾杯!のたびに飲み干した。見せかけだけ、というのがイヤなのよ。どうしてこんなところで誠実ぶるのか、とは思う。要するに妙に頑固なのである。意固地とも言うか。ふん、ただの酒好きだろう。その日の私は10杯のマオタイで、絶好調のハッピーになった。うれしくて幸せ! 飲めばよく笑うが、このときはとにかくハイになった。常時ハイなのだから、このときはハイハイハイくらいだったかもしれない。

 食後、数人づつに別れて青島の街を歩いた時にもハイ×3乗な状態は続いていて、私は大声でしゃべり、いろんな人に話しかけ、ある店ある店のぞきこみ、あれー、帰りのバスはどこぉ?と後ろを振り返ったときにはぞろぞろと100人くらいのお供を引き連れていた。外国人(しかも酔ってる!しかも女!!)を見るのは珍しいのだろう。なんとなく現地のみなさんもニコニコしている。さすがにちょっと驚いたが、こっちはしっかり酔っている。またしても機嫌良く歩いて交番らしきところを見つけ、ホテルに帰るバスが見つからなぁ〜い、と説明した、んじゃないかな。交通警官(だろうと思う)は、あせって電話をかけまくる。受話器を握りしめて、こそこそとなんかしゃべってる。酔っぱらった外国人が…何とかしてくださいよぉ、みたいな。私はその間に交番をバックにポーズを取って写真に納まる。あなたも一緒に写りましょうと、警官の腕を取る。お供もやいのやいのと声をかけ喜ぶ(ほんとはあんまり覚えてないが、証人がいるのでシラを切れない)。

 外国人が宿泊するホテルは限られているから、なんとかホテルに連絡が通じて警官は迎えのバスがどこに停車しているかつきとめた。それじゃあこっちだよと、お供の数人が道案内してくれて、私は待ち合わせ場所に辿り着いた。バスに乗り込み、西太后のごとく鷹揚にうなずきつつ窓から手を振りながらお供たちに別れを告げた。ナニサマ? 

 ホテルに戻り、夕食まで時間があるから後で泳ぎに行こうという話で、それぞれの部屋に引き上げた。
 ベッドに寝転んで1、2時間過ぎて友人たちが迎えに来た。ところが、座ることはできても、どうやっても立ち上がれない。意識はしっかりしている。ベッドまでやってきた友人ふたりが腕をつかんで立ち上がらせようとするが、からだが言うことをきかない。全然動かない。友人たちが両側からぎゅーっと持ち上げようとする。ずるずるっとベッドから落ちる。えーっ、どうしちゃったの? 自分のからだが自分の意思から遊離している。何度抱えてもらってもぎゅーズルズル、ぎゅーズルズルである。催眠術にかかったタコ? 私も友人たちも笑いが止まらない。腰が抜けたのである。

 多分、おそらく、希望的には、一生に一度の腰抜け体験。

 不思議なことに翌日は二日酔いさえもなく、しゃっきりと目を覚まし、朝食には一番乗りで誰よりも盛大な食欲を見せつけた私だった。
 「見事な腰抜けになるコツ」は、強〜い酒をクイクイっと素早く飲むことだな。楽しかったのは間違いないが、もう二度とはやらないと思う。いやまあ、それから数年後のテキーラの失敗談はここでは語りません。



 

Vol.3 中国ー華流の沼は深〜い(北京)(2021年4月15日)
Vol.2 スペイン/バルセロナ(2021年3月29日)
Vol.1 スペイン/バルセロナーパリ(2021年3月18日)

天鼓プロフィール/アーティスト, パフォーマー, ミュージシャン

1979年女5人のバンド『水玉消防団』で音楽を開始。80年代からバンド活動と並行してヴォイス・パフォーマーとしてニューヨークやヨーロッパで数多くの音楽フェスに招聘される。アルバムは日本・アメリカ・スイス・フランス・香港などでリリース。92〜99年、アーティスト活動を続けながら息子を連れ英国留学。シュタイナー理論による4年間の彫刻(アート)コースやスピーチ&ドラマ、空間認識のムーブメントなどを学ぶ。パフォーマンスや美術分野での制作、ヴォイスや彫塑、ムーブメントのワークショップも多い。すきあらば陶芸、有機大豆での豆腐づくり(売るほど)、写真などを楽しんでいる。

 

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