Vol.18 イギリス ー くまのプーさんの木
7年間住んだのはロンドンではなく、イースト・サセックスだった。ロンドンのビクトリア駅からドーバー海峡に向かって電車か車で1時間ほどのところ。そこから白い岸壁で有名なイーストボーンやブライトンなど海岸までは車で1時間くらい。ロンドンから遠すぎず近すぎず。
イーストボーンはよく遊びに行った海岸だ。映画『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』(通称ファンタビ)に、あの柵も何もない恐ろしい岸壁が出てきたときは「おおw」と声をあげてしまった。強風にあおられると転げ落ちそうになるんだから、ほんとめっちゃ怖い。いや、柵がないから美しいのはわかってるけどね。
E.サセックスはイギリスの中では豊かでのんびりした地域なのだ。チャーチルやポール・マッカートニーの別荘もあった。もちろん建物は敷地のずーっとずーっと奥の方にあって、簡単にのぞき見たりすることはできない。そのあたりからロンドンに通う人もいたが、週末だけこちらの家に来て庭作りをするという人も多かった。
『くまのプーさん』を書いたミルンもこのあたりに住んでいたこともあって、私が住んでいた数年の間にプーさんグッズを売る店やプーさんの橋が作られたりして、日本のガイド本にも紹介されたらしく、日本人の観光客も見かけるようになった。
日本人といえば、歩いて近所の森に散歩に行く時にはゴルフ場を通り抜けたが、そのロイヤル・アッシュダウンフォレスト・ゴルフクラブでも、まれにサラリーマンらしき日本人たちがコースを回っていた。
ゴルフ場といってもくだけたもので、柵も囲いも立入厳禁の立て札もなく、時には臨時のギャラリーとなって近所の人たちが散歩している。10才くらいの少年がゴルフバッグをかついでひとりで練習していたりもした。森への道はゴルフ場を突っ切って歩くことになるので、よく左右を確かめないとボールが飛んでくる。プレーヤーも慣れたもので、人が見えると通り過ぎるまで待ってくれる。
そのゴルフ場の向こうにアッシュダウンフォレストがあって、地元の人たちが「プーさんの木」と呼んでいる巨木がある。観光客向けのプー・トゥリーやプー・ブリッジはミルンの住んでいたハートフィールドのほうにあるが、こっちは地元民しか知らない。
その木は森の中にあって、もちろん何の標識も無い。道を教えてもらってトライしたが、辿り着かない。何とか探し当てたのは3度目だったか。幹に5〜6人が手をまわしてやっとというくらいに大きな木だ。幹が枝分かれしているところまで3メーターほど、よじ登ることもできて、登ったはいいが降りるのに恐ろしくなって冷や汗をかいた。
しかし、なんといってもすごいのは、このプーさんの木には10メーター以上もある高さの枝からブランコが下がっているということだ。誰?誰がこの木のそんな高さに登ってブランコを吊るしたわけ?ありえないだろ。しかし、ありえないといっても現にあるわけで、しかも、このブランコは、ロープが切れでもしたのだろうか、あるとき付け替えられていたりもした。
子どもは喜ぶ。もちろん。でも大人も喜ぶ。なにしろ片側が斜面になっているせいで、高くなっている場所からビューンとやると、地面ははるか彼方、すごい高さになる。サーカスのブランコみたい。上を見上げるとちょっとびびる。考えようによっては、相当あぶない。日本ではこのブランコはありえない。しかし、ここは真実の自己責任の国なので、もし誰か転げ落ちて骨を折るなどということが起こっても、このブランコを取り払おうなんて意見は出てこない。「そうか、気の毒に。そりゃ不運だったね」で終わる。楽しみにはリスクが付きものなのだ。
なのでイギリスでは不慮の事故というのはときどき聞く。が、日本だってそれは同じくらいの確率なんじゃないか。どこもかしこもフェンスをめぐらし、立て札を立て、危機察知能力を低下させるから、いざという時に自分で判断できなくなるほうが怖いと思うけど。
日本とイギリスはよく似ている。似ているところもあるが、まったく違うところも多い。
イギリスに住んで思ったのは、この国は大人だなあということだ。成熟している。それは多分、産業革命を早い時期に実現したというようなことが理由でなく、伝統を守り尊ぶことによって個としての人の成長がより豊かなものになっているという感じ。だからこそ、その伝統を破壊して進む力も激しいものにならざるを得ない。
古くさいイギリスからは、常に新しいものが生まれてくる。それも超激しいものが。ビートルズだってパンクだってバンクシーだって英国生まれだし。