Vol.16 イギリス ー お茶する、庭づくり、そして歩く
日本では外国の人をばっさりとひとまとめに「ガイジン」と言い切ってしまう。日本人にとっては、問題は「日本人であるかそうでないか」だけである。これは世界的に見れば、あまりにもおおざっぱな括りをする民族じゃないのか。一刀両断。度胸があるって言うんですか? ガイジンに「さん」を付けたりして、一応丁寧な物言いをしたりはするが。海に囲まれて、2百年以上も鎖国を続けていた国ならではの感性ですなあ。
しかし、例えば、同じ英語を話すとは言っても、アメリカ人とイギリス人では全く違う。それは「月とスッポン」的な、どっちが善玉悪玉、お利口か馬鹿かという話ではなく、要するに「違う」のである。風土と、そして、国の歴史の長さ、そのあり方による違いだろう。(他の英語圏のオーストラリア、ニュージーランド、カナダだってもちろんそれぞれ違うのだが、そっちについては語れるほど詳しくない)。
どういうわけだかイギリスに住むことになった。7年も。英国暮らしの7年で、多少はイギリス人にも親しんだ。
イギリス人の余暇の過ごし方というのは、「お茶を飲む」「庭づくり」「歩きに行く」の3つに集約される。最初のふたつは誰でもご存知のはず。最後のひとつはどうだ。
「散歩」と辞書で引くと"a walk"。「go for a walk 歩きに行く」なのである。近所も歩くが、時間があればドライブしてまで出かけ、そして、歩く。車のトランクにはウェリントン(長靴)と雨を弾くワックスコートが、必ずといっていいほど積んである。もちろん私も抜かりなく積んでいた。いつ何時「じゃあ、歩きに行く?」にならないとも限らない。いつ雨が降り出さないとも限らない。ここはイギリス。
歩くと言っても、レジャーランド慣れした日本人なら「何も無いじゃない!」と不平不満をぶちまけそうなほど何もないところを、たらたらと歩くだけである。イギリスは北のスコットランドの方まで行かないと山らしい山はない。犬や友だち、家族連れ、時にはひとりで、だらだらと丘を越え、なんとなく、じゃあこのへんでという感じで引き返す。どこもだいたいなだらかな丘や牧草地で、そこそこ眺めは悪くないが、この「歩く」ということに対する地味ながらも熱狂的な情熱はどこから来たのだろう。
歩くのも悪くないけど、私はドライブが好きだったな。日本の免許証を持って行くと、イギリスの免許証を作ってくれる。写真も必要なくて(いまはどうか知らないけど)有効期限が15年というのにはびっくりした。一度免許を取ったら、更新なんてないようなもんだ。ハンドルを握っているというより、ハンドルに寄りかかっているようなおじいちゃんやおばあちゃんが、たら〜りたら〜りと運転してたりした。怖いですねー。日本と同じ右側通行だったから、最初からすいすいと楽に運転できたのはありがたかった。
日本と大きく違うのは信号はなくて、交差点が丸いラウンド・アバウトになっていることだ。左回りに入って、左へ出る。出そこなうともう1回まわればいい。もちろんロンドンなどの都市になると信号機はあるが、サセックスなどでは、一度発進すると、1時間くらい停車することなくハンドルを握っていることも多かった。ゆるやかに登ったり下ったり。だいたいイギリスには「ワイルドで気圧される」ような大自然はない。広葉樹が多いので、秋には木々は色づいて金色になる。その金色に真っ赤なベリーがからまっていたりする。黄金のトンネルを走り抜ける時の気分と言ったら!イエーイ!
田舎道を運転していると、30年代や50年代のものと思われる、とんでもなく高価そうなあでやかなクラッシックカーが突然現れたりする。若い男がそんな車を運転していれば厭味な感じだろうが、革の航空帽を被って目の覚めるような年代物のオープンカーを運転しているのは、ほとんどの場合、70代80代の紳士だったりした。
かと思うと、灰色の馬で乗馬をする人や馬車とすれ違うこともあった。そういうときには馬を驚かせないように車はそろそろと徐行するのだ。ヨークシャーでは歩いていると帰路につく羊の群れに取り囲まれたりする。包囲網を突破するなどと考えてはいけない。ただただ行き過ぎていただくのを腰を低くして待つばかりである。