心なごみませ  第11回

「当たり前のこと」

山元加津子(在日石川人)

 久しぶりにしんちゃんのおうちにおじゃましました。しんちゃんはもう何年も前に一緒に勉強してからのお友達で、それ以来、しんちゃんのご家族ともとても仲良くしていただいているのです。時折、おうちに遊びに出掛けては、お夕飯をごちそうになることもありました。今回もお父さんから「久しぶりにやろう」と電話をいただいたのです。
 夕方しんちゃんのおうちに行くと、ちょうど中学生の妹さんのえみちゃんが帰ってこられた所でした。お母さんが「えみちゃん、おにいちゃんと一緒に、餃子の用意買ってきて」と声を掛けられたのですが、えみちゃんはちょっと渋い顔です。
「えー、だってお兄ちゃん、誰にでも返事するんやもん。えみ、すごく恥ずかしいわ」「そんなこと言わんと買ってきて。な、お兄ちゃん、誰にでも返事せんよね」しんちゃんは「はい、お返事はしませんですね」と答えたけれど、えみちゃんは笑って「その返事、すごくあやしい・・そうだよね、先生?」と今度は私に言いました。私も笑って、「そうやねえ」と言いました。それはこういうことだったのです。
 しんちゃんが学校にいたときも、しんちゃんは誰のお話にもお返事をしてくれていました。いつも独り言を言っておられた男の先生とのやりとりはとても愉快でした。
 その男の先生は、頭で考えられたと同時に言葉で表しておられるのかもしれません。それとも予定をたてたり、決意というか、がんばろうという気持ちの表れなのかもしれません。とにかくそういう癖なのだと思います。朝、学校に来られたときから、ずっとおひとりで、話をされるのです。私たちは最初、その先生のお話にずっと耳を傾けていて、いつお返事をしたらいいのだろうととまどったこともあったのですが、そのうちに馴れてきて、(ああ、ご自分にお話されているのだなあ)と思うようになっていました。でもしんちゃんはいつも必ず、お返事をするのです。「えっと、まず、今日することは・・」と先生。「カレンダーをめくったらどうでしょうか?」としんちゃん。(しんちゃんはカレンダーが昨日のままだということが気になっていたのですね)「さ、トイレに行って来よう」と先生。「はい、そうです。トイレに行って来てください。我慢はよくありません」としんちゃん・・・「まず、これをこうして」「次にこうして・・」と先生。「そうそう、次はそうです」としんちゃん・・こんな具合です。私たちはなんだかおかしくてにこにこしてしまうのです。でも当の先生は独り言だからか、しんちゃんが先生の言葉にお返事をかえしても、なんだか耳に入らないみたいに気がついておられなくて、うんとあとで、何かのビデオを見られて、「お、しんちゃん。いちいち返事してくれとったんか」と笑っておられたことがありました。こんなふうにしんちゃんはみんなの言葉にお返事をかえしてくれるのです。
 「ね、先生も一緒に買い物行こう」えみちゃんがさそってくれました。そこで、3人で近所のスーパーにお買い物に行きました。お母さんお得意の餃子に入れるニラやにんにくやひきにくを買って、レジに並びました。レジの方が計算をされる前に「毎度ありがとうございます」とおっしゃいました。すかさずしんちゃんが「毎度はこれないのです。いつも来たいところなのですけどね」と言いました。レジの方が少し驚いた顔をされました。でも続けて、品物と値段を読み上げられました「ニラ 238円」「ニラは238円でございます」「挽肉 388円」「挽肉は388円でございます。餃子に使いますよ」・・レジの方がなんだか恥ずかしそうなお顔をされたときにえみちゃんが「お兄ちゃん」と少したしなめる口調で言いました。「あ、あ。すいません。お返事はしません・・でしたね」しんちゃんがそう言ったときに、私たちの後ろに順番をついておられた女の方がえみちゃんにおっしゃいました。「えらいわねえ、えらいえらい・・お兄ちゃんがこんなふうじゃ大変ねぇ」そのときのえみちゃんの言葉に、私はとても感激しました。「大変なんかじゃないです。兄は、ただ、どんな人に対しても一所懸命に返事をしているだけです。兄のしていることは人間として当たり前のことです」
 私はえみちゃんの言葉を聞いて急に涙がこぼれそうになりました。そうだなあ、しんちゃんのことを一番よくわかっているのはえみちゃんだなあと思いました。そして、人と人はえみちゃんやしんちゃんのように、誠実に向き合って生きていくべきなんだと思いました。

 私はそのとき、まだしんちゃんが私と一緒に毎日学校にきていたころのことを思い出しました。えみちゃんはまだ小さくて、小学校に上がる前でした。えみちゃんはお兄ちゃんが大好きで、何があっても「お兄ちゃん」「お兄ちゃん」と呼ぶのです。ころんでも、おかしの袋が開かなくても、さびしくなっても パズルが入らなくても・・どんなときでも・・大好きなお兄ちゃんを呼ぶのです。私たちはその様子をいつもいつもほほえましく見ていました。しんちゃんはそのたびに「はいはい、痛くないですよ」「袋が開かないと食べれませんね」とすぐにえみちゃんの近くに飛んでいって、スーパーマンのようにえみちゃんを守り大事にしていたのです。そして、それはきっと今でも変わらず、えみちゃんに何か助けがいることがあれば、一番に飛んでいくのだと思います。そのことをえみちゃんはちゃんと知っていて、そして、大きくなった今、今度はしんちゃんに何かあればきっと私がおにいちゃんを守ると思っているのかもしれません。