サコ サコでごさいます。
チナ チナでございます。
二人 みなさん、明けまして!
チナ めでたいひともめでたくないひとも、
サコ 本年もよろしく、
二人 おつきあいのほどを!
チナ ウチらコンビも長くなりましたねぇ。
サコ ほんまにねぇ。
チナ かしまし娘ほどではないですが。
サコ ふるっ(;´∀`)
チナ 古くてよい。歴史ですからね、私らの基本テーマは。
サコ はい、しょっちゅう脱線しますが。
チナ さて、本年は「歴史で幕開け!」ということで。
サコ 歴史、ではなくて、歴史
ですね。
チナ そそ、そこが大事。なにしろ神武談義をやろうというわけで。
サコ はい、やりましょう。
チナ 「歴史の幕開け、神武天皇」ではなんかNHKの特番みたいになる。
サコ ははははは。
チナ 今年もサコチナ、歴史で幕を開けましょう! というわけで。
サコ はい、開けましょう!

◯神話を政治に利用させないために

チナ 私が『古事記』を読み出したのは、純粋に興味があったのと、なんでこの書物が軍国主義に利用されたのか知りたい、というのもあったのね。
サコ ナルホド。
チナ で、ちゃんと読んでみたら、ぜんぜんそういうモノではなかった。私が『古事記』を読んでると聞きつけたどこかの記者が、「読んだら右翼になってしまいませんか?」と聞いてきた(笑)
サコ え? それ、いつ頃の話ですか? 1970年代?
チナ もう1990年代初頭だったです。
サコ 
ひょえ〜!そんな最近のことなんですか。
ご承知のように、戦前は、『古事記』や『日本書紀』(以下、記紀と略す)に書いてることを、神話を含めてそのまんますべて「事実」だという教育をしてきました
チナ 皇国史観ってやつね。初めて聞いた時は、広告の歴史かと(笑)
サコ 天皇が現人神だという話の出どころは、記紀神話ですからね。記紀に書いてあることを疑ってはいけないってことになる。
戦争が終わり、皇国史観の呪縛から解放されて、日本史の研究者達は実証的な日本史の再構築にむけて情熱を傾けました。
チナ 戦時中、死んだふりしてた人達が、生き返ったわけだ。
サコ 歴史学者は、死んだふりしてないと、生きていけなかったんですよ。
チナ 死んだふりできたひとはまだ運がよかったくらいで。よかったね〜佐古センセは戦後っこで。
サコ はい、そこはまったく。だから、戦後しばらくは、神話や神話がかった伝承は研究テーマとして扱わないのが進歩的学者だとされて、唯物史観にたつ、いわゆる左翼学者が学界の主流を占めました。
チナ ですってね。だから読むだけでもなんとなく右翼みたいな感じがする、という時代になった。しかし『古事記』はとある王家の古い伝記、という目で読めば、右翼になんかならないよ。
サコ 当然です。でも、1990年代の新聞記者にも、まだそういう意識が刷り込まれていたんですね。
チナ そう。案外長いことあったのよ、そういう意識が。最近つくづく思うんだけど、政治と学問が一体になって刷り込んだものって、ものすごく息が長い。そのやっかいなひとつが伝統と一体になった差別・・・人種差別や性差別や部落差別でしょ。政治や文化が刷新されても、息長く残っていて、なんかの拍子に息を吹き返す。だから歴史はちゃんと知っておかんとあかん、と思いました。

◯呪縛がとける

サコ そういえば、2012年は、『古事記』完成から1200年記念行事として、出雲や宮崎、奈良など各地の自治体が、記紀神話を主題にしたシンポジウムやイベントを開催しましたよね。
チナ やったやった。けっこう無邪気に神話を楽しんでたよね。
サコ そうなんです。戦後70年近くたって、やっと記紀神話への呪縛がほどけてきたんだなぁと、感慨深いものがありました。
チナ 楽しみつつも、ちょっと心配だったなあ。揺り戻しが来るんじゃないかと。利用できる格好のチャンスだからね。神話に罪はないんだけど。だから私もしっかり姿勢を正して、関係を確認したの。
サコ ほほう。というと?
チナ まず、記紀の世界は古代天皇制。その天皇支配の歴史が終わって、いろいろあって、明治憲法下の近代天皇制となり、
サコ あははは、えらく飛びますね。
チナ オマケしてえな(笑)。で、それが敗戦で終わって天皇支配の歴史はふたたび終わり、現憲法下の民主主義体制となり、しかし、天皇家は日米政府の政治的思惑から、国家の象徴として特別な地位を与えられた、と。あああ!
サコ なななな、なんですか!
チナ 今さら気がついた。天皇は、古代と近代だけは支配者だったけど、あとはずっと実権力者にとってのオカザリみたいなもんだったよね。だから今もそれは変わらないんだなあって。
サコ 古代も、天皇が政治的に実権をふるったなんて、天皇制を始めた張本人の天武くらいで、それ以後は、ほとんどがオカザリじゃないですか。持統女帝なんて、政治より吉野通いで忙しそうだし。この頃から、官僚が優秀な国だったんですか、ね。
チナ そうなんや〜。まま、それはともかく、だから私は、記紀の天皇と現代の象徴天皇とをつなげて考えないことにしたの。峻別して考えるの。そうすれば絶対、揺り戻しに引っ張られないから。どんなに古い家柄だろうとルーツが何様だろうと、なんぴとも自由・平等が共通認識の現代では、家柄やルーツは地位や役柄を決める基準にしてはいけないわけでね。記紀の天皇が縄文時代からであろうがなかろうが、今の天皇の扱いを考える参考にはしない。これならどんなに記紀や考古学に没頭しても、右翼にも左翼にもならずに、歴史の真実を楽しめると思うのよ。
サコ 千夏さんに激しく賛同!! ってか、以前千夏さんに教えてもらったことでもあるのですが、日本の天皇制って、@古代〜江戸時代、A明治〜昭和初期、B戦後の3つの時期それぞれに違うのだということを、われわれはしっかり理解しておかねばなりません。天武がつくった古代の天皇制がいまも存続していると勘違いしているから、女性は天皇になれないなんて話になる。ここらの話は、すでに千夏さんがきっちり書いてくれているので、あわせて再読してください。(おんな組いのちHP>アピール>中山千夏「天皇と憲法」

◯どちらのおタクでも

チナ 最近「歴史修正主義」とかが安倍政権の擁護で台頭してきて、また戦前みたいなこと言う政治家やタレント文化人が出てきたでしょ。神武は実在した、なんて。
サコ まあ、見たひとがいないんで、なんとでも言えます。
チナ あはは、そうそう。私もいたかいないか知らん。で、初代天皇イハレヒコ(神武)は、日本書紀の紀年を実年代にするといつごろだっけ?
サコ 紀元前660年です。考古学でいえば、縄文時代の終わり頃か弥生時代が始まったばかりかというところ。そんな時期から天皇がいたなんて、フツーなら誰も信じないでしょ?
チナ 私程度の学歴(高卒)だと信じないでしょ。一応、うちらの歴史の教科書は、旧石器時代から始まっていたから。
サコ 戦後は、そうですよ。皇国史観を否定するところから、戦後の歴史教育は始まったのですから。
チナ でも、まだけっこういるよ、皇国史観好きな人達は。
サコ みたいですね。
チナ ま、キリストの実在を信じるレベルなら宗教だから、好きにしたらいいけど。それを現代の学問や政治につなげるなっちゅうの。
サコ 何年か前に女系天皇の問題が盛んに議論された時、テレビによくでる若手評論家が「2600年続いた天皇家の歴史をここで途絶えさせていいのか!」なんて言うので、唖然としました。神武即位の年から数えてるんですよね。戦後の歴史教育って何だったんだろって、情けなくなりました。
チナ うひゃ。第一、天皇家はなくならないよ、象徴天皇制は無くなる可能性があってもね。すごいな、天皇家の歴史イコール日本の歴史って感覚なのね。完全な皇国史観だ。
サコ ついでにいうと、『日本書紀』によれば神武天皇が即位した日が正月一日。それを明治時代に新暦に直して2月11日とし、「紀元節」=「日本建国の日」としました。それを1966年の国会で、「建国記念日」として祝日に加えると正式に法律で決めました。国会には、皇国史観がお好きな議員が多いようで。
チナ だね。でも、テレビ番組で、「神武天皇は実在したと考えてもと思う」なんてことを平然と言う国会議員は、さすがにいなかったなぁ。最近いるもんねえ。教育、どうなってんの。
サコ そんな人を国会議員にしちゃいけないですよ。
チナ でも、そういう人がトップ当選しちゃうんだよね。
サコ 神話や神話的な伝承を政治家が利用しようとするのは、日本だけの話ではありません。どこの国でも、いつの時代でも、歴史は政治的に利用される危険を常にはらんでいます。それは、考古学も同様です。
最近ビックリしたのは、中国の社会科学院が、山西省の新石器時代の陶寺遺跡(4000〜4300年前)が高度に発達した文明をもっていたということがわかり、これが伝説の聖帝・堯の都であると、わざわざ記者会見を開いて、大真面目に発表したんです。聖帝・堯は、実在の人物ということになるようですよ。
チナ 日本でいえば、すごい縄文の遺跡がみつかって、これが神武の宮殿なのだぞ、みたいな話?
サコ そんな感じでしょうね。
北朝鮮は1993年に、朝鮮の始祖王・壇君の墓を造りました。それが、巨大なピラミッドなんです。壇君は、紀元前30世紀つまり5000年前に、人間の女性に化けた熊と天帝の息子の間に生まれた男子です。つまり伝説上の人物なのですが、ピョンヤン郊外でその遺骨がみつかったといって、ものものしい墓を造り、中国文明より千年も古くから朝鮮文明は発達していたのだ!って言うてましたね。
チナ ニニギ尊の遺骨がみつかったから、巨大な前方後円墳に埋葬しました、みたいな。すごい話だね。
サコ はい(汗)
韓国では、紀元前に朝鮮民族は中国東北部に本拠をおき、現在の中国の一部や北アジアまで支配した大国家だったとか、日本という国を造ってやった、みたいな、トンデモ話の歴史ドラマが次々に制作され、人気番組になっています。背景には、在野の歴史家や一部の大学教員によるウリナラ史観があり、マスコミもとりあげるから、若者の間にけっこう広まっているそうです。
チナ 歴史に詳しい人でないと、歴史ドラマをそのまま信じてしまうよね。
それにしてもまぁ〜、日本のまわりの国々も、困ったもんだねぇ。
サコ そんな怪しいもの達に騙されないよう、みなさん、ちゃんと歴史を勉強しておきましょう!

◯文字と伝承

チナ 私がね、記紀が書くような神武天皇は、実在しなかった、と思うのはね、ほら、記紀ができる寸前まで、倭人は文字を持たなかったでしょ?
サコ いや、文字は使っていますよ。少なくとも3世紀前半の卑弥呼の時代には、文字の読み書きができた人はいたはずです。でないと、魏に何度も使者を送るような外交など、できませんからね。それに、伊都国の都とされる三雲井原遺跡(福岡県糸島市)で、石製の硯の破片が出土しています。ま、その頃に読み書きしていたのは、倭に移住した渡来人達だった可能性が高いと思いますけどね。
チナ うぐぐぐぐ・・・
サコ あれ、どうしたんですか?
チナ 学者相手にエエカゲンな言葉遣いしてしもた(T_T)
サコ ??
チナ もとい! おっしゃるとおり中国語の読み書きができる倭人は、たしかに卑弥呼時代からいたかもですね。あ、私、古代の漢文は中国語と思うことにしてます。漢文と思うと日本のものみたいだから。で、われらのトモダチの音韻学者、森博達さんによると、『日本書紀』もほとんどがその中国語で、多くの中国人が執筆している。『古事記』のほうが倭風が強いらしいけど。それなのに、残る記録としては8世紀初頭からでしょ。だから、「天皇家周辺で、きちんと文字記録ができたのは記紀ができる寸前」と言うべきでした。で、それまでは口伝でしょ? だから、そう詳しい初代からの家伝が8世紀まで残っていたはずがない、と言いたかったわけ。
サコ すすみません。私も、そういうことかなと思いつつ、つい(汗)。
チナ で、倭人が漢字で記録を残しはじめるってのは、いつ頃だっけ?
サコ 5世紀になると、古墳から出土する刀剣に倭風の銘文が刻まれたものがでてきて、文字がかなり広まっていることがうかがえます。埼玉県の埼玉稲荷山古墳で出土した鉄刀に115文字の銘文が刻まれていて、そこに5世紀の終わり頃のヲワケ臣という人の8代に及ぶ系譜が書いてありました。
チナ 1世代25年として、8代というと200年?! すごいね。その間、ヲワケさんを含む系譜が、口伝で語り継がれてきてたっていうことよね。
サコ そうですね。過去の出来事を語り継ぐ「語り部」と呼ばれた人達がいたことが、記紀や風土記からわかります。文章を書く以前から、昔のことを記憶して次世代に伝えねばならないと思っていたんですね。
チナ もしかしたら文章で残そうとした最古のものが古事記かもしれない、と。ま偽書説は置くとして、だけど。
サコ えと、ですね。推古28(620)年に『天皇記』・『国記』を編纂することにしたとか、皇極4(644)年に蘇我蝦夷が殺される前に『天皇記』と『国記』を焼こうとしたので、船恵尺が『国記』を救い出して献上した、と『日本書紀』に記載されています。『天皇記』も『国記』も現存していませんけどね。
それから持統5(666)年八月に、18の氏族に祖先の「墓記」を提出させています。「墓記」はおそらく先祖についての言い伝えで、『日本書紀』編纂のための情報収集だろうと考えられています。それぞれの氏族が文字で書き残していたのか、語り伝えていた話を提出する際に文字化したのかはわかりませんけれど。
いずれにしても、7世紀には、歴史を書き残そうという動きが少しづつ始まっていたようですよ。
チナ 了解。いずれにせよ、それまでは、あっても口伝だったわけでしょ。口伝というとアイヌ伝承がつい最近まで口伝一本槍だったよね。早くから最近まで倭人に文化を壊されたこともあるんだろうけど、わずかに残るものを見ると、神話も英雄譚もかなり話や人物が圧縮、単純化されている感じ。無理ないよね。だからその点から考えても、記紀の初代天皇から何代かは、文書化に際してのアレンジないし創作が大半だろうと。話の芽ぐらいはあったかもしれないけど。だいたい「天皇」という号もそう古くないわけだし。

◯仁徳は大王、天武は天皇

サコ 天皇制を創設したのは、672年に即位した天武だという見方が有力です。記紀が完成したのは、すでに天皇制が敷かれた後なので、遡ってみな「天皇」という称号をつけていますが、天武以前は推古も仁徳もみな、「天皇」ではなく「大王」です。「大王」という称号は、古墳から出土した鏡や刀剣の銘文で確認できます。
チナ おお!推古! 記紀最初の女帝! 私は彼女が最初に天皇を名乗った大王、という説が好きなんだけどなあ。私の説やけど(笑)
サコ いやいや、昔はそういう説も有力だったんですよ。でも、いろいろ調査研究が進んでくると、やはり天武でしょうね。
チナ 推古は大王でガマンしとこうか(笑)
サコ 記紀に記載された「天皇」のうち、実在した可能性があるもっとも古い大王は、10代目の崇神とされています。でも、岡田英弘先生は、実在性があるのは仁徳からだと仰る。最初は、また岡田先生が過激なことを・・・(笑)と思いましたが、最近私はそうかもしれないという気がしています。
チナ あ、私、その岡田センセに一票! 私の感触と合う。
サコ 岡田センセは、千夏さんの大好きな『古事記』が偽書であることを、徹底的に追及・解明した方ですよ。岡田センセの説を読んで、こりゃ反論できないと思いました。で、私も偽書説に一票!
チナ おおお、そうなのね!ふむ、読まねば。
サコ それはともかく、記紀の編者達が企んだ「万世一系」の系譜も、507年に即位したとされる27代継体大王までに2度、途切れているということが、戦後まもなく水野裕先生の「古代王朝交替論」によって明らかにされ、学界の定説となっています。
チナ おお、賛成。大体、推古以前はあっちゃこっちゃの有力者の家系伝承を、タテに繋いだ感じがする。で、時々、実在感あるひとがいて。継体大王はたしかに実在感あるなあ。越前からきたんだよね。
サコ 千夏さんと一緒に、継体のお母さんの振媛の故郷、福井県丸岡町(現、坂井市)で継体大王のイベント、いろいろやりましたね。
チナ そうそう、それもあって実在感あるのかも。それで? いまの天皇家は、継体さんからはずっと続いているというのが定説なの?
サコ 一応、そうなんでしょうね。
チナ すると1500年? 充分長いじゃない。
サコ 一族の系譜としては1500年続いていることになりますが、「天皇家」の歴史は天武から数えて1200年。2600年じゃない!!
チナ まぁまぁ、そうムキにならないで(笑)。しかし、長さで言えば「うちのほうが長い!」と言いたい由緒ある神社の神主家なんかがあるんじゃないのかしらん。徳川家なんか悔しさが新しいんじゃないかなあ。エジプトのファラオの末裔とかも、どこかに居そう。うへ、そういう確執にかかわりたくない(^_^;)
サコ 徳川さんはそれほどでもないでしょう。古代から続いているのは、出雲大社の宮司・千家尊裕さんが84代め、「ゴジラ」などの映画音楽の作曲家伊福部昭さんは、古代から明治初年まで因幡国宇倍神社の宮司を務めた古代豪族伊福部氏の67代め。いまの天皇は、神武天皇から数えて125代め。ま、実在しない天皇が何人かいますけど、「うちの方が長い」といえる一族は、中国で孔子の子孫だと言ってる人達くらいじゃないですか、ね。
チナ イエじゃなくて祖先でいけば、みんな同じくらい長いよね。人類誕生以来続いてないと、今ここにいないもん(笑)
サコ はは、たしかに。何代目って語り継いでいるかどうかの話です。そんなことを数えてる一族ってのが特殊なのでした。
それにしても、1500年間もの長きにわたり、国の頂点(いまは象徴だけど)にいた一族というのは、世界的にも他に例がない。その一族の始まりを語るのが、記紀の神武伝承です。
実在性はともかくとして、神武天皇の物語って、記紀ともにすごく長い。いろんなドラマがあって、面白いですよね。
チナ ほんとほんと。実在しない人物の話だとすると、かえって、なぜあんなストーリーが生まれたのかがすっごく気になるね。こんな話にするなんて、なに考えてんねん、とツッコミたくなる。
サコ はい、そこがキモです! 
チナ ね!
サコ 次回はそのへんを。
チナ はいはい、今回はここまで!

≪次回に続く≫