あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第64

■縄文人からの宿題■

佐古和枝(在日山陰人)

うむむむ〜〜、またまた難しいご質問です(^_^;) 10回目に書いたように、世界の民族事例や歴史の記録によると、一般的にもともと土器作りは女性の仕事だということであって、縄文土器や弥生土器を作ったのが女性か男性かを知る手がかりは、いまのところありません。ただ、「道具は、使う人が作る」という素朴なあり方や、縄文土器につけられた赤ちゃん風の顔をみると、縄文土器も女性が作ったのかなって。その土器だって、赤ちゃんの顔がなかったら、男性が作ったのかなと思うかもしれないです。

それに縄文土器もね、千夏さんが例に挙げた火焔式土器はとてもダイナミックで力強い印象があるけれど、他の土器は穏やかな形だったり繊細な文様があったりして、女性の作ったといっても違和感のないものがけっこうあると思います。
もっとも、土器作りも機織りも料理もお酒作りなど、もともと日常的な女性の仕事であった仕事も、それが専門職になったり権力と結びついたり、商売になったりすると、男性の仕事になっていくんですね。日本でも、古墳時代の須恵器という窯で焼く土器の生産は、国家的に組織化された専門集団が主導的な役割を果たしていたと考えられています。それは男性集団だろうなぁ。その一方、日常的に使う土師器という、弥生土器の系譜につながる土器は、たぶん女性が作る。平安時代にも、そういう記録があります。では、須恵器と土師器の形や文様に男女差といえるような特徴や違いがあるかといえば、ない・・・と思う。

男女の作風の違いって、どうなんでしょう。絵画、彫刻、写真あるいは詩や歌など、その作者が男性か女性かって、作品をみただけじゃわからないことが多いんじゃないですか。サコは、子供の頃に竹久夢二の絵をみて、女性が描いたものだと信じていたし、初めて三岸節子の絵をみた時には、これが女性の絵かと驚いた。「港のヨーコ、ヨコハマ、ヨコスカ」の歌詞が阿木耀子という女性の作だというのもビックリでした。

 むしろ、ここは民族事例や歴史の記録に素直に従って、火焔土器も含めて、縄文土器は女性が作ったと思って見てみると、神に祈ったり、命をいとおしむ女性の思いの強さを見るようで、ゾクっとしてきます。そんな見方も、面白いんじゃないでしょうか。
 考古学は、わからないことだらけの世界です。でも、わからないことを目の前にして、あ〜かな、こ〜かなと想像をめぐらせることで、私たちが何かに気づく。そのために、縄文人や弥生人が、練習問題を残してくれているような気がします。で、あれこれ頭をひねるわれわれを、縄文人や弥生人はきっとニヤニヤしながら見てるんですね。答えは、永遠に教えてくれないんだけれど、それでいいんじゃないかな・・・と、最後に開き直ってしまうしかないサコでした(^_^;)