あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第22回

■古代人は何を食べていたか■

佐古和枝(在日山陰人)

なぜ女性が食文化をになうようになったのか?う〜む、千夏ねえさんから興味深いテーマが投げかけられました。
考古学で食生活を語る材料がもっとも豊富なのは、貝塚の資料です。貝塚は、ゴミ捨て場。貝殻だけでなく、食べ残しの動物や魚の骨もたくさん出土します。火山列島である日本の土は酸性が強いので、有機質が残りにくいのですが、貝塚は貝殻のアルカリ成分によって残されるのです。
縄文時代の研究者である小林達雄先生によると、貝塚や遺跡の資料から、縄文人が食べていたと推定される哺乳類は60種類以上、鳥類35種類以上、魚類70種類以上、貝類350種類以上。現代人よりはるかに多様なものを食べていたことがうかがえます。ただし、貝類のなかには、食用ではない貝が含まれている可能性があります。また、植物性食料は55以上。植物性のものは残りにくいから、本来は300以上あったのではないかと小林先生は考えておられます。
植物性の食べ物を知る手がかりは、遺跡で出土する木、種、実、花粉など。発掘現場の土を細かい篩でふるって、水洗いして、顕微鏡などを使いながら小さな種や実のカケラなどをみつけていくのです。
私が保存運動に関わり、現在も活動を続けている鳥取県の妻木晩田(むきばんだ)遺跡で、今年4月から毎月1度、植物観察会を始めました。この遺跡は、標高100m前後の山の上にある弥生の大集落で、まわりを森に囲まれています。歩いてみると、ドングリ類の他にも、イチゴ類、クワノミ、アケビ、山菜、キノコ類、クズなど、食べられる植物がたくさんあって、とても楽しい!「山の上は生活に不便なのに」と現代人は思ってしまいますが、山には山の豊かさがあることを実感しています。もっとも、これで満腹になるほどだったかどうか、食い意地のはってるサコは少し不安ではあります(^_^;)
それでも、考古学から知ることのできる食文化は、ごく一部。きっと、私達が想像する以上に、いろいろなものを食べていたことでしょう。

   

妻木晩田遺跡とそこでみつけたクサイチゴ