あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第23回

■「食う」こととおんな(前前回の続き)■

中山千夏(在日伊豆半島人)

道具や技術がほとんど無かった時代には、人間の生活は類人猿に近かった。(ちなみに弥生や縄文後期は、もうかなりな文化時代だよね)。われらが祖先の生活に文化は乏しく、生物的なことがら、つまりは、食うことと子孫を残すことに時間のほとんどを取られていた。
だから彼らの知識や思考は、限りなくサルに近かった、と考えてみよう。さあ、これには生物学の知識と、ウルトラ想像力が必要だぞ。
まず、彼らはみんな「自分の」満腹と「自分の」繁殖しか眼中に無かったね。特に繁殖がそうだったと思うよ。食べ物を分け合うことはあっても、「二人の子どもを協力して育てようね」「うん」なんて考えはなかった。男はただ、野生の呼び声に応えて、性交の成功に励んだ(ああ、オヤジギャグやっちゃった!)。女に子が生まれても、関心なかった。性教育受けてないからね、逆に正しく直感で知ってたのよ。んなもん、おれの子かどうかわからん、ほっとこう、それより、おれの子孫を残すには、できるだけたくさんの女と性交してまわるに限る、ってね。
さて、一方、女はといえば、「自分の」体から分裂したのが「自分の」子であることは、直感的に確実だった。だから、これまた野生の呼び声に応えて、その子を育てずにはいられなかった・・・
おお、ここだ! ここに男女の重大な違いが生まれた。つまり、「自分の」食事にだけ関心がある人間と、「自分以外の」者の食事にも大いに関心がある人間との違いが。男と違って女は、「自分以外の」(子の)食事の世話をせっせとした。せずにはいられなかった。これこそが、もっぱら女性が家事育児をになうことになる起源だったに違いないよ。
ところで、やがて男も知恵がつくと「自分以外の」者の食べ物に関心を持つようになる。より多くの女との性交に成功するためには、エサで釣る手がなかなかいい、と気がつくわけね。(ちなみにこの手はカワセミでさえ使う。かなり野性的な手だね)。特に育児中の女には、この手はよく効いたと思うよ。そして! その子にエサをやったり可愛がったりすることもまた、その母親をひきつける、とも気がつくわけ。うん、これこそが「妻子を養うお父さん」の起源に違いない、と私は思うよ。
わーーーここで終わるのはヤバイ! この項、続く!