あんなこんなそんなおんな・・・・・昔昔のその昔 第21回

■「食う」こととおんな■

中山千夏(在日伊豆半島人)

ただいまー。例年のポニン・アイランズ(こと小笠原列島、こと東京都小笠原村父島)訪問から昨日7月3日、帰ってきました。
5年前にダイビングツアーで行ったのがきっかけ。独特な風土と歴史と文化に魅了されて、毎年通い続けています。村の人たちともすっかり仲よくなって、今年は返還祭のお手伝いもしてきました。
そう、小笠原は第二次大戦後、1968年まで、米軍に占領されていたのね。その間の事情も含めて、話し始めるととまらなくなる状態にこの数年、おちいっておるのですが、今はキュキュキューとブレーキをかけて、話をお魚に限ります。
もちろん今年も豊かなボニンの海を満喫してきました。海中生物 ! これがまた話し始めたらとまらない分野なんだけど、ここもキュキュキューと急ブレーキかけて・・・海中生物と近しくなってから(潜り始めて12年になります)感じ入ったことの一つに絞ります。お魚やウミウシやその他もろもろの生物たちときたら、まあ、ほぼ一日中「食う」ことにかまけてるのよね。その間に交接と産卵をする。これでもうスケジュールぎっしり。忙しい忙しい。
とにかく算段つけて「食う」、そのエネルギーでもって、「採食」「繁殖」行動をする、これが彼らの全生活。つまりはこれが生物の基本的生活なのだ、と私は彼らからしみじみ教わったのでした。
そしてまた、「これが生物と人間の違いなのだ、生物としての基本的生活だけでは生きられない生き物、それが人間なのだ、そして、生物としての基本的生活以外の生活、つまりお魚たちから見たら、そんなよけいなことはせんでもいいのに、と思われそうな部分の生活を文化といい、文化のあるなしが生物と人間を分けるのだ」と急に目の前開けたりもしたわけでした。
ま、なんの分別でも境界線は曖昧で(「燃えるゴミと燃えないゴミ」の定義の混乱ぶりを見よ!!)、近年は生物にも文化的な行動がある、と言われていますが、ざっと分ければそういうことよね。お魚に食生活はあるが、食文化はない。彼らには食うか食われるかしかないが、人間には漁労や農作や料理にまつわる祭りや腕比べがあり、食卓を囲んでの団欒がある。
そして、洋の東西を問わず、古来、その食文化の大半を、佐古センセー言うところの「お母さん」、つまりおんなが握ってきたというのは、ものすごくおもしろいことだと思わない?? おもしろい、というのはつまり、この事実はいろいろな問題をたくさん含んでいる、ということよ。なんで女性がもっぱら食文化をになうことになったのか、に始まって・・・うひゃ〜、とても一回では終われない〜、次々回に続く〜。