Vol.11 ジャマイカ ー カリブ海の通奏低音
レコーディングの予定がないときに、その他大勢組の私たちは皆でドライブに繰り出したりした。
海岸沿いの道を走ると海沿いには白いホテルが立ち並ぶ。白人たちが保養にやってくるホテルだ。道をはさんで反対の山側を見ると斜面に掘っ建て小屋が山にへばりつくように並んで、そこにジャマイカ人が住んでいる。首を左右に振るだけで世界の縮図が見える。わかりやすい対比。金持ちと貧乏人。搾るものと搾られるもの。頭の中でしか知らなかったことが可視化されていた。
その頃、ジャマイカの首都キングストンは観光の街ではなかった。ジャマイカの人たちが暮らすジャマイカ人の街。
街を歩こうという日、私たちは緊張していた。当時、キングストンには「日本人がひとり住んでいるらしい」という程度で、日本人はもちろん、観光で訪れる人はほとんどいなかったのではないか。治安も悪いと聞いていた。ナイフを腰に吊るしている男も多い。私はカメラを1台、さりげなく肩に掛け、市場などでは歩みを止めずに写真を撮った。人々の顔は険しく、頭にターバンを巻いた女たちは皆どこか哀しげだった。喧噪の中に、低音域でつきまとうような不満と不安が聴こえてくるようだった。それは突き抜けたような青空を、かえって不穏なものに感じさせた。
観光地の海辺へも行ってみた。浅瀬の続く、真っ青なカリブ海。
それぞれのホテルの前の浜辺にはロープで海の中まで仕切りがしてあって、宿泊客専用のビーチになっている。観光客用のショッピングモールがあって、老いた白人たちが、悪くなった膝をかばうように、杖をついてゆっくり歩行している。子連れの観光客が水着姿で買い物をしたりしていた。ジャマイカ人ばかりの街の市場では緊張を感じたが、白人ばかりのシーサイドには何とも言えぬ居心地の悪さを感じた。
砂浜を歩いていると、少年が声をかけてくる。「なんとか、かんとか、センシミーナ」と言いながら近づいてきたのでガンジャ売りとわかった。持っているガンジャの種類を呼び声にしている。マリファナにも様々あって、種類でランクがあり値段が違う。センシミーナが極上である。いらないよと言うと、さっさと次の観光客を探しに走り去る。貧しい国では子どもたちも稼ぐことに忙しい。
車に戻る途中で、向こうから女がひとり歩いてきた。ずんずんと歩いてきて私の正面に立ちはだかる。足元を指差す。靴をくれと言う。「当然だろう?私は靴がなくて、あんたにはあるんだから」とは言わなかったが、傲岸な顔がそう言っている。私より少し背が低い。黒く不機嫌な顔つき。40代くらいだろうか。汚れた茶色い半袖のワンピース。女の足を見ると裸足だった。
脱いで渡すべきだろうか。今回、靴は他には持ってこなかった。ここで渡したら、私には靴がない。しかし、靴をどこかで新たに買うだけのお金くらい持っている。実のところ、私は日本人としてはビンボーである。しかし、ジャマイカでは私をビンボーとは言わないだろう。靴も履いてる、カメラも持ってる、何よりジャマイカまで来ることができたのだ。目の前に突きつけられた足には靴がない。
3秒間めまぐるしく考えたあげく、私はポケットを探ってお金を出した。この靴は私の大切な靴なのであげられない。このお金で履く物を買ってくれ。まるで夢の中のように、こういうときには言葉が通じるものらしい。女は金を受け取り、無表情なままいなくなった。
もしかしたら、いつもの作戦、なのかもしれない。いつもの作戦に気弱な観光客が負けたのかもしれなかった。私の言い訳の言葉など、なんの意味もなかったのだろう。差し出したお金と、それを当然のように受け取った女。
コンクリートの防波堤から海をのぞくと、びっしりと数えきれないほど大きなウニが見えた。立派なトゲの長さは20センチ以上はありそうだった。ここでは、誰もウニを食べようなんて思わないんだな。ジャマイカでのびのびと機嫌良く育つのはウニだけなのか。