伊豆新聞に掲載された過去の記事からピックアップしたものです。
ここでしか読めない過去の最新アップもお楽しみに!!

 
 
 

その11 音楽的?なお話
(2009年4月22日 伊豆新聞に掲載)

一時、ずいぶんマスコミを騒がせたから、ご記憶の読者もあろうか。日本音楽著作権協会と古賀財団との一大癒着事件があった。古賀とは、作曲家の古賀政男。そうです、「湯の町エレジー」で伊豆とも縁が深い、あの演歌の帝王。ただし事件は1994年、古賀の死は78年だから、ご当人はまったく与り知らない話だ。
ちなみに、ここにも商品としての著作権の問題がある。古賀のように莫大な使用料収入がある作家の遺族は、財団を設立することがよくあると聞く。というのも、人権としての著作権は作者の死とともに消滅せざるをえないが、商品としての著作権は死んでも残るからだ。なんでも、できれば永遠にミッキーマウスで儲けたいディズニープロの意向で世界的にどんどん伸びたらしいが、今では死後70年も著作権は生き続ける。商品だから当然、相続税がかかる。その率たるや莫大なので、たいていの遺族は、財団を設立しての節税に走るそうだ。稼ぎ過ぎというのも、子孫に迷惑なのだなあ。

それはともかく、協会が古賀財団に無利息で莫大な融資をした。手続きは踏んでいるものの、詳細を知ると、呆れてものも言えないような話だ。そもそも一部官僚と一部作家が私物化しやすい機構なだけに、問題はほかにも多々あった。そこで、猛然と改革ののろしをあげたのが、洋楽分野での大流行作曲家、小林亜星さんであり、彼に続いた永六輔さんたちだったわけ。彼らは率先して評議員に立候補、当選して、執行部にもの申していた。ところが政治同様、改革派は、立候補してくれる仲間を得るのが難しい。何年も苦労したあげくに、お、アレがいたじゃないか、国会に出たぐらいだから立候補は平気だろう、と白羽の矢がこちらに向かったらしい。

どなたもご近所にいるのではなかろうか。このひとに頼まれたら引き受けずにはいられない、というおじさんやおばさんが。小さいころから仕事をしてきたもので、私にはそういう「ご近所」がたくさんいる。永さんはその筆頭だ。実際、東京では、歩いて10分の場所に住んでいたし。そんなこんなで評議員に立候補した。
当選して初めて会議にでた時は、驚いたなあ。有名な作曲家、作詞家がたくさんいる。しかし、その会議たるや、芸術、芸能の気配はみじんもなく、まるで小型の国会みたい。話題もそっくり。予算に決算、増税、いや増収に定額給付金、いや使用料分配。それに溶け込んでいる作家もいるから驚きだった。でも、確かに現代社会では、音楽は商品なのだから、これも仕方ないのだろう。


かんがえるカンガルー(伊豆シャボテン公園で)

その10 音楽著作権のこと
その9 幼馴染みのトクラくん
その8 「歌声喫茶」で
その7 ♪あなたの心に

その6 プレシルクラブ

その5 仲間はいいな
その4 決行!伊豆急全線ウォーク
その3 カワヅザクラのこと
その2 こうして伊豆半島人になった

その1 ただいま雑記を始めます

HOME