第63回「温かな背中から飛び立つ日

山元加津子(在日石川人)

 今年もやがて終わろうとしています。高等部にいて、気がかりなのは、子ども達の進路です。高等部三年を終えて、進学するお子さんはとても少なく、社会にでていかれる方がほとんどです。年が変わる頃には、やはり、4月からの進路先がきまっていたらなあと思うのです。それは、職員だけではもちろんなく、子ども達やおうちの方の強い思いでもありますね。

 先日、お友達からメールをいただきました。
「養護学校から、就労先の見学に行きました。そこは、お菓子の箱詰めとパッキングをやっている小さな会社でした。社員の方のお話で、目の見えない女の子が入社したときの話を聴きました。「目が見えない」ので、座って、じっとしていてできる仕事がいいのだろうとそういう仕事をやってもらっていました。
 1ヶ月余りすぎて、彼女が「立ってやる仕事もしたい」と申し出たそうです。社員の方は、「彼女も皆と同じように仕事をしたいんだ。自分の勝手な思い込みで座り仕事がいいって、考えちゃったんだ」と思ったそうです。
 それから、半年間、立ち仕事を練習して、今ではその仕事を一番上手にできるのは彼女だそうです。その仕事は、お菓子を入れた段ボール箱を、ラップのようなものでパッキングする仕事です。大きな、シール機を使います。ラップをくっつけて切るのに熱を加えるタイプです。やけども何度もしたでしょう。長い時間、練習を重ねる彼女の気持ちと努力、練習に付き合った社員の方の気持ちの暖かさと深さに感激して、涙がこぼれました。
 障害の有無とは関係ないと思います。人が生きていくとは、働くとは、「何とか、人のお役に立ちたい」気持ちを勇気を持って実行することだと思います」

 メールを読ませていただいて、私も涙がこぼれました。小さい時に母と妹と私とで、父が会社から帰ってくるのをよく迎えに行きました。父がたまに、私を背中におぶってくれることがありました。私は父の背中が好きでした。温かくて、心のそこから安心していられる気持ちがしました。だから、ずっと父の背中から降りたくはなかったのです。
 けれど、いつか、父の背中から降りないといけない、父と母が愛していてくれて、どんな私であっても、それでいいんだよと認めてくれるそのぬくもりの中に永遠に居続けることはできないのだと知っていました。
 私は子ども達が卒業して社会に出て行くときに、いつも父の背中のことを思うのです。私が父や母の温かいぬくもりの中で感じたことを、心の勇気として、生きてこられたように、みんなにも、学校やおうちで、愛されていたことを忘れずにいてほしいなあと思います。
 そして、メールの彼女のように、社会の中で、自分がどう生きていったらいいかということにも前向きに向き合っていってほしいなあそして、それを応援してくださる会社の方と彼女が出会えたように、子ども達にもそんな出会いに力を借りて生きていってほしいなあ思うのです。