第61回「大人はときとして」

山元加津子(在日石川人)

 大人はときとして、子ども達に向かって、「おまえはどうしてこうなんだ」とか「なさけないやつやなあ」という言葉を使ってしまうことがあります。けれども、その言葉を聞いた子ども達は(じゃあ、がんばろう)と思えるだろうかと思うのです。きっと悲しい気持ちでいっぱいになってしまうのじゃないだろうかと思うのです。

 先日NHKのテレビで以前放送されていた「人体。・遺伝子」という科学番組が子ども向けになって放送されていました。盲導犬にどうしてラブラドールレトリバーという犬種が適していて他の犬は適していないかということから番組が始まりました。
 ラブラドールはDNAのある部分の長さが短く、そのために、もし興奮したときも、穏やかになる酵素と結びつきやすいけれど、他の犬種はその部分が長く、絡まって穏やかな酵素と結びつくじゃまになり、穏やかになるスイッチが入りにくいということでした。
 番組はそのあと、人の性格もDNAによるところが大きいということを伝えていました。

 人の顔かたちが与えられたものであるように、人の性格もまた、自分の力の及ぶところではないのかもしれません。私たちは、容姿や顔のことで「おまえの容姿はどうしてこうなんだ」とか「おまえの顔はなさけない顔だ」とは言いません。
 それは、私たちが顔かたちは自分の思い通りになるものではなく、与えられたもので、そして、誰もが、みんないろいろで当たり前だいうことを知っているし、またそのようなことの価値判断をすること自体が間違っているし、言うことも間違っているとわかっているからだと思います。
 けれど、私は、これまで長い間、たとえば穏やかな人と乱暴な人がいたら穏やかな方がいいのかなと思い続けてきたように思います。そのために、子ども達のことをずいぶん責め続けてきたようにも思うのです。自分の思い通りにならないことで責められた子ども達はどんなにつらかったことでしょう。自分のことが好きになれないと思ったかもしれません。

 けれど、テレビでは、飽きっぽく、すぐに仕事をやめてしまう遺伝子を持った人は、いろんなことに挑戦をするチャレンジャーでもあることを伝えてくれていました。
 私たちは顔かたちがいろいろなように、性格もまた、いろいろ。そして、それは自分の力でどうこうできるものでもないかもしれないけれど、周りの大人達が、弱点と思われるところも、それがあなたなのだと認めた上で、長所を認めることで、子ども達はきっとうれしく、自分のことが好きになれるに違いないですね。弱点と思われることも、また長所。そのことを忘れずにいたいなあと思います。