第58回「初めての朝顔のつぼみ」

山元加津子(在日石川人)

 自然はいつもいつも、とても不思議で見事ですね。バケツをひっくりかえしたような大雨のときは、あんなにたくさんの雨をいったい空のどこでたくわえているのだろうと不思議だし、たくわえらえた雨が、空から降り、植物や動物を育て、また空に帰るのも不思議だし、その量が長い年月の間もかわらずにあるというのも、本当に不思議なことです。
 今朝は初めての朝顔のつぼみを見ました。まるで買ってきたばかりの折りたたみ傘のように、きれいに花びらがたたまれています。種から双葉が出て、やがて、茎の最初は何もなかったところに、蕾ができ、その蕾は当たり前のことだけど、いくつかの細胞が、全体として花となるように、協力しあって、変化して蕾ができるのですね。花びらがぐるぐると螺旋状になるように片付けられているプログラムは、その細胞の中にあるのですね。
 
いつもいつも、宇宙が作ったプログラムの見事さに舌を巻くような思いがします。

 ところで、私は、折りたたみ傘をきちんとたたむのがにがてです。きれいにたたまないとしわくちゃになってしまうと思うけど、なかなか上手にはたためません。
 でも、細胞は全体像を意識しているのかしていないのかわからないけれど、自分が与えられた部分で、与えられた役割を担うことで、初めて、ひとつの見事なつぼみができるのですね。
 つぼみに言えることは私たちにも言えるに違いありません。私たちは自分ひとり、生きているような気がしているけれど、つぼみのように、大きな宇宙の中で、自分が与えられた部分で、役割を担いながら、一生懸命生きているのでしょうか?

 私は子ども達といて、いつも思うのです。社会には、男の人がいて、女の人がいて、背の高い人もそうでない人も、それから痩せた人も、太った人もいて、国の違う人がいて、肌の色の違う人がいて、性格もそれぞれで、障害がある人、ない人、みんないろいろ。そして、いろんな人がお違うに大切や部分を担当し、役割を担いながら生きているのですね。
 ゆいちゃんに花のつぼみの話をしました。「ゆいちゃん、つぼみはどうしてあんなに見事に傘をたたむみたいに折りたたまれているのかな」ゆいちゃんは「お花って、ちゃんと知ってる。わたしもそのままに大きくなっていけばいいって知ってるよ」と言いました。本当にそうですね。そのままでだいじょうぶ。だって、何もかもがうまく行っているそういう宇宙の私たちも一部なんですもの。