第57回「雪絵ちゃんの願い(5)」

山元加津子(在日石川人)

 雪絵ちゃんのお話の最後です。

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 私は雪絵ちゃんがどんなに悪くなっても、どんなに危ないと言われても、いつも雪絵ちゃんは絶対に大丈夫だとなんだかそんなふうに思っていました。けれども亡くなったという報せを聞いたときに、私は雪絵ちゃんは今日亡くなろうって自分で決めたのかなってなんだかそんな気がしました。雪絵ちゃんはいつもいつも、なんでも自分で決めていたんです。クスリを飲むか飲まないか、入院するか退院するか、そういうことも自分で決めていました。

「だって、私の人生だよ。誰が私の人生に責任を持てる? 誰も持てないよ。でも私なら持てる。私が決めたことだったら、がんばれるし、誰のことも恨まなくてすむからね」ってそう言っていたんです。だから、雪絵ちゃんは今日亡くなろうって自分で決めたのかなって思いました。雪絵ちゃんのおうちに行ったら、お母さんが待っていてくださいました。

 そして、雪絵ちゃんのお部屋に通してくださったんです。雪絵ちゃんの枕元には姪っ子さんや甥っ子さんが楽しそうに遊んでいてね、あのお本当に優しい顔で、眠っているみたいでした。

 お母さんは不思議なことをおっしゃるんです。「この子はね、今日亡くなろうって自分で決めたんだと思います」って。

「どうしてそう思われるんですか?」って言ったら、「この子は、年が明けたら、一月になったらね、大きな病院にかわることに決まっていたんです。その病院はこの子が絶対に行きたくないと言っていたとても遠い病院でした。この子は家が好きでしたから、そこには行きたくないといつも言っていたんです。この子はお正月も自分の誕生日も、みんなね、自分の家ですごそうと決めていたんじゃないでしょうか」とお母さんがおっしゃいました。

 そしてお母さんが、「不思議なんですよ。この子は、今日亡くなって、明日二七日がお通夜で、二八日、お誕生日がお葬式なんですよ。この子はね、お誕生日がいつもことさら大好きで、大事な日、大切な日と言っていた。その日にお葬式なんですよ。あっぱれな子ですね」とおっしゃいました。

「私は実は今日、ここにいないはずだったんです。飛行機が飛ばなかったので」と言いました。

 お母さんは、「あの子は、先生にいてほしいために、飛行機までとめてしまったんですね」とおっしゃいました。そして、きっと、お通夜やお葬式の席じゃなくて、今日、ここで先生とお別れがしたかったんでしょう。あの子は先生と行った温泉旅行がすごくうれしかったようで、その話ばっかりしていましたから、この子をソウルに連れて行ってやってください」と言ってくださいました。

 それで、私は雪絵ちゃんのお通夜にも、お葬式にも出席していません。雪絵ちゃんと一緒のつもりで、飛行機に乗り込みました。けれども、私は雪絵ちゃんのことばっかり考えてね、雪絵ちゃんはいつもいつも、「私でよかった。私の人生を後悔しない」って言っていたけど、でも、やっぱりつらくて悲しい人生だったんじゃないだろうか、そんなふうにも思ったりもしました。また、雪絵ちゃんは負け惜しみを言っていたんじゃないだろうか?と思ったりもしました。けれども、またこれも本当に不思議なんですが、私の鞄のなかに雪絵ちゃんからのエッセイが、手紙が一つ入っていたんです。それはこんな手紙でした。


誕生日

私今日生まれたの。
一分一秒のくるいもなく、今日誕生しました。
少しでもずれていたら、今頃 健康だったかもしれない。
今の人生をおくるには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。
けっこうこれってむずかしいだよ。
十二月の二八日、私の大好きで大切で幸せな日、
今日生まれてきて大成功。Snowに生まれてきて、これまた大成功。


 雪絵ちゃんはやっぱり自分に生まれて、大成功、大正解って思ってたんだなあというふうに思いました。それでも、私は、雪絵ちゃんが亡くなったことを、なかなか受けとめることができませんでした。毎日毎日泣いていました。悲しくて悲しくて。そして、私は自分勝手な人間だなあって思うんですけど、雪絵ちゃん、なんで亡くなっちゃったの? 誰が私の話を毎日聞いてくれて、「よかったね」って言ってくれるの?ってそんなことを思っていたりしました。ごはんも食べられないし、寝られないけれど、でも、ベッドの中に入って…。学校のある間は学校にいるからいいんですけど、帰ってから、本当に何もできなくって、もうこのままじゃね、私もだめになってしまうのじゃないかなあって。体重もどんどんやせていったんですね。

 そしてまさにそんなときに、まるで背中をぽんぽんとたたかれたみたいに、あることがぱっと思い出されたんです。なんか電気が走ったみたいなくらいだったんですけど…それは雪絵ちゃんとした最後の約束でした。私が、最後に雪絵ちゃんと長い会話をした日。

 その日、雪絵ちゃんは、「かっこちゃんにどうしても頼みたいことがあるから、家に来て」って言ったんです。そして出かけて行ったら、雪絵ちゃんは「今から話すことを絶対にきいてほしいお願いがあるの。絶対にだめって言わないでほしい」って何回も何回も念を押すんです。

「私、雪絵ちゃんのお願いだったら何でもきくじゃない。雪絵ちゃんは今まで私に、お願いなんかしたことないじゃない。なんだってきくから言って」って。

 そしたら雪絵ちゃんは「本当だよ」ってまた念を押して、こんなふうに言いました。

「かっこちゃん、前にね、障害とか病気とかとっても大切なんだよ。科学的にも証明されているって言ったよね」って。「言ったよ」って私が言うと、「人は障害があるとかないとか、そんなことじゃなくって、誰もがみんな大切だっていうことも科学的に証明されているって言ったよね」
「言ったよ」
「じゃあ、それがね、世界中の人が知っている世界にかっこちゃんがして」って雪絵ちゃんがそう言いました。
「なんでそんなこと私ができるの?」って私すぐに言おうと思いました。
 そうしたら、雪絵ちゃんが「言わないで」って止めるんです。
「何も言っちゃだめ」って。

 私は雪絵ちゃんがあんまり真剣だから、そのときね、「わかったよ」って言ってしまったんです。だけど、できるなんてことはぜんぜん思っていません。できるはずがないと思っていました。でも、雪絵ちゃんはそのまま亡くなってしまいました。

 私は泣いてばっかりいて、なんにも雪絵ちゃんとの約束を守っていない、書かなくっちゃ書かなくっちゃと思って、私は三冊の本を書きました。

 それがこの「本当のことだから」という本。これは、雪絵ちゃんが教えてくれたことや、ペルーにあるナスカの地上絵とかそんな不思議を学校の子ども達がその謎をちゃんと解き明かしてくれているというね、そういう本です。「本当のことだから」という本と、違うタッチでお話ししたいと思って書いた、ファンタジー「魔女・モナの物語」そして「心の痛みを受けとめること」というふうに、三冊書いたんですね。

 これは、十六,十七,十八冊目の本になるのかな?でも、それまで私は、本、書いたらね、ああ、よかった、それでいいやって思っていて、あの、売れてほしいとか、たくさんの人に読んでほしいって、ぜんぜん思っていないわけじゃないんですけど、あんまりそういうことを思わないでいたと思います。でも、書くだけじゃだめだ。読んでいただいて、知っていただかないと、雪絵ちゃんとの約束を守っていくことにはならないというふうに思って、本屋さんにお願いして、本屋さんに「置いてください」とお願いをしに行ったんですね。この「本当のことだから」という本を最初に置いてくださいと言ったら、「どうしたんですか? 山元さん、今度は自費出版ですか?」と言われたので、「そうじゃないんですけど」って言ってね、雪絵ちゃんの話をさせていただいたら、「わかりました。置きましょう」と言ってね、たくさん置いてくださってね、買っていただくことができたんです。

 その次に、今度もまた、この「魔女、モナの物語」というお話しを、また置いてくださいと本屋さんにお願いしに行ったら、本屋さんが、
「不思議なんですよ、この本がね、インターネットでもなかなか手に入らないし、じゃあ、取り寄せようと思っても、なかなか、入って来ないんですよ」とおっしゃるんです。

 ああ、これはもうだめなのかなあと、書いたけど、だめだったのかなあと諦めかけたときに、ある一人の友達からちょうどメールが入ったんです。
「僕はこれを読んだよ」って言って、なんかよくわからないけれど、「僕はこれを世界に広めるよ」って言ってくださったんです。

 赤塚さんはキリスト教の方なんですけど、イエス様を信じておられる方なんですけど、「イエスはね、パウロという人がいなかったら、誰にも知らずに大工さんを続けていただろう。パウロがいたから、たくさんの人に知ってもらえたんだよ。だからね、僕はモナのパウロになるよ。これを伝導するよ」なんて言ってくださってね、最初に百冊買ってくださって、そしてね「僕はこれを百人の友達に贈って、みんなに、十冊ずつ買わないと友達じゃないぞってね、みんなを脅迫した」なんて言ってくださって、そしてまた不思議なことにたくさんの人に読んでいただくことができたんですね。

 それで、私は、なんか雪絵ちゃんがいつも守ってくれてるんじゃないかなってね、そんな不思議なことを思っているんですね。
 私は今でも、そんなに簡単に、世界中の人がこのことを当たり前に知っている世の中になるとは思ってはいないんです。けれども、私はやっぱりこのことをずっとずっとお話しさせていただきたいなと思っています。

 そして、私、みなさんにお願いがあるんです。「今日、講演会に行ったらね、こんな話を聞いてきたよ。1/4の奇跡みたいなことがあるよって、(お力を貸していただけないでしょうか?)あのね、おうちに帰ったり、お仕事の先のところで、こんな話を聞いてきたよ、雪絵ちゃんはこんなことが伝えたがったんだよ」って、お話ししてはいただけないでしょうか? お願いします。

 そしてね、もうひとつね、わがままなお願いがあるんですけど、実はね、私の友達がね、「かっこちゃん、そんなふうな伝え方していても、広まっていかないんだよ。こういうふうにしたらいいよ」って教えてくれたことがあるんです。私は「たんぽぽの仲間たち」っていうホームページを持っていて、その中にいちじくりんというブログを持っているですね。でね、いろんな方が来てくださるんですけれど、かっこちゃんのページに来てくれるのは、かっこちゃんのことを知っている人とか、障害を持っている人のお父さんお母さんや、そういう人しか来ないと思うよ。そういう人はもう十分にいろんなことをわかっておられると思うよ。それじゃあ広まらないよって言ってね。このいちじくりんというブログにブログランキングというのがついているんですけど、それをちゃんとつけないとだめだよ。そのブログランキングという文字を一日に一回押していただくと、ランキングが上にあがっていくようになっているので、そのランキングを見てくださった方が、「いちじくりんって何だろう」と思って来てくださるかもしれないと、教えてくれました。

 おかげさまで、私のホームページに来て、ホームページの中の文章やブログで子ども達のことを知ってくださる方が増えてきました。

 ある方は、「僕は障害を持っている人のことはぜんぜん知らなかったけれど、今度、僕の会社で、二人、働いてもらうことにしましたよ」と行ってくださる方がおられます。
 それから、ある方は、「養護学校が近くにあって、電車で生徒さんと一緒になるんだけど、そして、なんだか離れてすわってしまっていたんだけど、いちじくりんを知ってから、積極的に、隣にすわってお友達になりたいなって思うようになりました」って言ってくださる方がおられたりで、とってもうれしいんです。

 あの、本当にあつかましいお願いですが、もし、みなさん、パソコンを持っていらして、ちょっと時間をとってもいいよという方がおられたら、いちじくりんを毎日開いていただいて、ブログランキングという文字をぽちっと押していただけると、ランキングがあがって、またたくさんの人に来てたいただけるんじゃないかと思って、お願いいたします。
 私はやっぱり、雪絵ちゃんの思っていたことっていうのは、決して雪絵ちゃんのわがままだったわけじゃなくて、みんなが自分のこと好きでいいんだって思えて、みんな大事だって、障害を持っている人もそうでない人も、誰もがみんな大事だということをお話ししていけたらいいなと思っているんです。

 いま、だんだんブログとかの世界が広まってきているので、たくさんの方がブログを持っておられます。たんぽぽの仲間たちのホームページに書いてあること、いちじくりんに書いてあること、それから、別冊たんぽぽと言って、声でしゃべっているページもあります。著作権とかぜんぜん関係ないです。どれを使っていただいても、ぜんぜん大丈夫です。紹介していただけたらなあと思います。
 最後まで聞いていただきまして、本当に、どうもありがとうございました。