41回  研究費の事業仕分けは間違っているか

田中優子(在日横浜人)

事業仕分けはついに、大学と研究の現場にまで及んできた。研究費削減の可能性を受けて、同僚たちのメールのやりとりが活発になっている。署名集めもあちこちで起こっている。私は大学院生を抱えており、すでに研究費支給の内定をもらっている優秀な研究者が、私のところにはいる。その内定も取り消されるかも知れない、という知らせを受けた。申請している複数の研究費も採択されないかも知れず、その多くは若手の育成に使う予定なので、それがうまくいかなくなる可能性がある。留学生は帰国を余儀なくされるかも知れない。

大学教員の給与水準は、ごく平均的な公務員やサラリーマンとたいして変わらない。生活するための給与であり、その中からは本代も研究費も、なかなか絞り出せない。本を買わずに図書館に頼る教員は多い。私大は研究室も設備も整っていないから、自宅を研究室にしていることがほとんどだ。「子供と部屋を取り合っている」という話はよく聞く。私も、個人研究室をもらえたのは五十代になってからである。当人は慣れっこになっていて、それでもいいと思っているが、講演やマスコミでの執筆や雑事に年中追われているから、確かにこれでは国際競争力はつかない。巨額の費用がかかる自然科学の場合、推して知るべし。その状況の中での、削減である。

しかし私は、自分の利害にからむことになったからといって、突如「事業仕分け反対」という気にはなれない。事業仕分けは正しい。毎年すべきである。もっと広範囲におこない、さらに洗練し、公開性と透明性にも磨きをかけるべきだ。そう思っている矢先、JT研究所の中村桂子さんが、「構想日本」のニュースに書いたことを読んで、心を打たれた。
彼女は科学者である。しかし今回、「旧七帝大+慶応・早稲田の学長、ノーベル賞受賞者、自然科学研究機構などの独立法人、学会などから批判の声が相継」いだことに対し、「これらの反応が、今回の事業仕分け全体を見て、その中での科学技術予算のあり方を考えたうえでの判断ではなく、とにかく科学技術予算を削ったのはけしからんというものであったのには、大きな問題を感じました」と書いたのである。中村さんの主張は次のようなものだ。

・「科学」ではなく、「科学技術」に膨大な予算が投じられてきた。
・この10年ほど、バランスを欠いた予算の組み方がなされてきた。予算を削られるより、バランスを欠いた予算配分の方が学問を壊す力は大きい。
・麻生内閣の補正予算でつけられた2700億円の先端研究助成基金は、本当に妥当だったのか。
・科学者たちは額の大きさを求めるのではなく、必要な研究を必要な額支援することを求めるという行動こそ取るべきである。

もっともな主張である。私は中村さんと幾度か仕事をし、新幹線の中で、科学技術関係の学者たちが、いかに巨額な研究費にむらがっているかを聞いたことがあった。研究費が大きければ良い研究ができるという訳ではない。膨大な書類を書き、たいへんな競争を経てようやく国の研究費を得るのだが、その研究費は一年ごとに消化せねばならない。研究代表者に有効に使用できる能力があり、協力体制や環境やネットワークが整っているのでなければ、期限までに「浪費」するノウハウだけが積み重ねられるのだ。時々新聞に出る不祥事は、研究費が研究能力を上回っているために、無理矢理何かで消化した痕跡である。
税金が浪費されているのか、人々のために有効に使用されているのか、それを見極めるのが事業仕分けだとしたら、学問や研究も聖域ではない。