あのすば・・・・ 第4回

ナルシズム政権の誕生

田中優子(在日横浜人)

 安倍政権が誕生した。その週の日曜はサンデーモーニング(TBS)の出演日で、まっさきにこの話題となった。テレビは短い言葉で意見を述べなくてはならない。そこで二つだけ言った。
 一つ、安倍晋三の所信表明演説は厚化粧のようなものである。目鼻がどこについているかわからないほど塗りたくっている。しかしじきに化粧がはがれて本性が現れるであろう。一緒に出演した諸氏(とくに岸井さん)によると、一年先の選挙まではすべてを曖昧にしておくに違いない、ということだが、私にはそうは思えなかった。安倍晋三はそういう戦略的行動ははなはだ苦手で、すぐに自分の存在意義を確かめたくなるに違いない。

 二つめ、この政権はナルシスト国家を作る可能性が非常に高い。ナルシスト国家とは、何をやっても自分を正当化し、「私は美しい!」と言ってのける国家である。テレビで発言できたのはここまでだが、ナルシスト国家についてもう少し説明したい。劇場型政治と異なるのは、決して派手なパーフォーマンスをおこなうのではない、ということだ。それで、地道で真面目に見えるかも知れない。ナルシストは理想と美意識をもっているので、真面目なのである。ときには異常に倫理的で潔癖な場合もある。「美しい国、日本」というキャッチフレーズは、安倍晋三が自分と自分の政権に抱いている感嘆である。

 5人の補佐官は、その一挙手一投足が彼のナルシズムを満足させるであろう。そのためにこそいるからである。忠誠を誓った者だけが配置されている。ただしその忠誠とは、安倍晋三の命令を実行するという意味ではない。恐らく彼らには殆ど、安倍晋三自身の案や命令や提言は示されないであろう。逆に彼ら5人が、首相の美意識を満たす提言をおこなうことで、政権が保たれるのである。

 当日のサンデーモーニング楽屋裏では、安倍晋三の「やさしさ」が噂された。虐げられた人々や貧しい人たちがとても気になるやさしい性格だ、という。「言われているほどバカではなさそうだ」という発言もあった。男性知識人たちが「やさしさ」に巻き込まれはじめている。私は常日頃から男性のやさしさを疑う癖がついていて(いやな性格だが)、そのやさしさが問題を起こしそうな気がしている。本来やさしさとは結果である。日々を生きている結果としてそう語られる場合がある、ということだ。自分で自分をやさしい人間だと自負している、そういう人間について想像してみよう。自分のやさしを守るために何をしでかすだろうか? 彼らにとって大切なのは自分の美意識と自画像であって、他者ではないのである。

 ブッシュは決してナルシストには見えないが、ブッシュと安倍晋三はよく似ている。「僕はいつも正しい世界の保安官。正義の味方だ」と考える「正しい」ブッシュと、「やさしく美しい僕」安倍晋三は、その行動において似てくる可能性がある。美意識や倫理観、信仰心は個人に帰属する。それが権力を持ったときは権威と化し、人々の金をかき集め、そこに属さない者を排除し、自分の正しさと美しさに酔いしれながら暴走する。武器を持つことも厭わない。なぜなら正しさと美しさが何より価値があるのなら、「悪」や「醜」(と思われるもの)は撲滅しなければならないからだ。安倍政権は、正しいブッシュはもちろんのこと、芸術の崇拝者・金正日や労働者のために立ち上がった芸術の理解者・ヒットラーに似てゆく可能性を秘めている。どちらも美と正義の崇拝者である。

 楽屋裏では、金子勝の「世襲の枢軸、安倍、ブッシュ、金正日」に爆笑していた。しかしこれ、笑い事ではないかも知れない。世襲者は、個人としての自分が持っていないものを持っているかのように錯覚する。つまり「勘違い」にもっとも近い存在だ。それを情念的には「血」と表現し、エセ科学的には「DNA」と表現する。とくに日本の核には、天皇制という世襲に由来する権威がどんとすわっている。天皇は政治に関与しない、と法では定められているが、じつは天皇制が存在するだけで政治に大きな影響を及ぼしていることは、誰もが知っていながら知らないふりをしている。その影響の一つは明らかに、「血」の権威である。天皇も世襲、首相も世襲、議員も世襲という「血の時代」時代が、ついにやってきたのだ。

 安倍家の複雑さに言及する人もいる。この家系には強権的な人物もいれば理性的でやさしい人物もいるようだが、つい最近まで知らなかったことがある。それは安倍晋三の安倍家が、「前九年・後三年の役」に登場する安倍一族の末裔だ、という説だ。安倍一族は早い時期に大和に服属した蝦夷(えみし)の長で、この時期(11世紀)には奥州6群の司をつとめていた。しかし常に大和の国司に反抗的で、全国を平定してゆく源氏とも戦い続け、伊予と太宰府に流されて一族は滅亡したと言われる。が、流されたものの子孫は増え続け、それが山口の安倍家につながっているというのである。日本とはかくも、首相についてその祖先の話が次々に出てくる国であったか。

 私は今年度の前期、「『カムイ伝』に見えるさまざまな日本」を講義していた。そのなかで被差別はもちろんのこと、「カムイ」という言葉のもとになったアイヌ民族についても話をした。そのとき、『もののけ姫』に登場する少年アシタカの「西の国への出発」の場面も使った。アシタカの集落が、東北にあるアイヌ民族の隠れ集落の設定だったからだ。その際、『もののけ姫』を詳細に分析してサイト上に載せている叶精二氏の解説に注目した。彼は言う。――蝦夷の長老が「朝廷との戦に破れて五百年余」と語るシーンがある。室町時代という設定から逆算すると、その戦とは「前九年・後三年の役」のことを示すと思われる。アシタカは安倍氏か清原氏の末裔か、あるいはそれに加勢した部族の末裔なのかも知れない――と。私の知っていたこの安倍氏は、安倍晋三の安倍氏のことだったのである。

 この話は面白い。安倍晋三はアイヌ民族(ここでは現代のアイヌ民族ではなく古モンゴロイドの意味で使っている)の末裔である。そして大和権力に対して反抗し続けた家系である。直近の祖先の話ももちろんだが、たとえばこういう話をもとに、自分の神話を作り上げることは充分にできるだろう。もしあなたが安倍家の人間だったら、自分の神話をどう作るだろうか?
 自分の祖先の話から自分の神話を作り上げていく人間がいる。もう一方で自分の祖先の話から歴史認識を深める人間もいる。自分を神話化すれば歴史認識は深められない。リアルな歴史認識をもてば、神話は作れなくなる。安倍晋三はどちらなのだろうか?

 実際には、日本人のほとんどはアイヌ民族と同じ血が流れている。同時に日本人のほとんどには、そのアイヌ民族を殺戮した側の大陸系の血がまじっている。私が「『カムイ伝』に見えるさまざまな日本」で学生と一緒に確認したことは、「血」や「DNA」で自分を語ることはできず、「日本人」を定義することもできない、ということだった。そして、定義できないのだから非日本人という理由で排除する根拠もない、という結論だった。
アイヌ民族の末裔(ほんとんどの日本人がそうなのだが)安倍晋三は自らの日本人論を、今後どう展開してゆくのだろう?「美しい国、日本」とはどこにあるのだろう?