39回  『未来のための江戸学』と路上生活の関係

田中優子(在日横浜人)

前回に続いてまた『週刊金曜日』の中から話題を持ち出すのも、編集委員としてなんだか気がひけるが、私の価値観を変える衝撃的な記事があったので、紹介したい。2009年10月2日号に載った、インタビュー記事である。

話し手は「いちむらみさこ」さんと言う。彼女は38歳の路上生活者だ。6年前、東京のある公園にやってきた。そこの路上生活者たちの暮らしが「とても豊かな暮らしに見えたんです。林の中で、ゆったりして、テントの建て方もそれぞれ違う。貨幣経済からちょっと離れれば、別のかたちで生きていける」と、彼女は思った。実際に入ってみると、字を書けない人もいれば、逆に英語まで話せる人も、文章の上手な人もいる。基準を作って排除するコミューンとも異なる自由と多様性を、公園生活に見たのだという。

「豊かさ」と「貧しさ」の逆転について、私は10月1日に出た『未来のための江戸学』(小学館新書)で書いたばかりだった。貨幣経済の基準では、豊かになるために自然からも人からも、限界なき収奪を続けなければならない。それが「勝つ」ことだ。しかしその果てにあるのは、食料も水も自然も足りなくなる「貧しさ」だ。一部の人間の貨幣的豊かさのために、全ての人間が貧しくなる日が迫っている。逆に、かつてあった「節度」に従って自然と関われば、そこには限りない豊かさが見えてくる。なぜなら、自然界は、貨幣無しで常にものを生み出しているからである。節度は貧乏とは異なる。それが本の主旨であった。

いちむらさんは、「安全で安心して暮らせればビンボーでもいい」と断言している。これは、それほど難しいことではなく、私にとっては45年ほどタイムスリップして過去に戻ればいいだけのことで、子供のころの貧しいが不安でない長屋生活そのものである。「コミュニケーションがあれば、誰かが夜中に叫んでも怖くない」という、いちむらさんの言う生活は、かつての日本人庶民の生活であった。

しかし、私は不安ではなかったが、私の親は不安だったようだ。子供をそういう生活から抜け出させ、競争に勝たせ、「豊かに」したかったからである。もし私に子供がいたら、それでも「路上生活でいい」と言えるだろうか。教育費がないから最低限の義務教育でいい、と決心できるだろうか。実際今の私は、母に安心できる老後を提供したいと思っているし、母がいる間は、それほどビンボーになるわけにいかない、と思っている。

それだけではない。私の事務所で働いている人(たった一人だが)が退職後生活できるよう、できるだけ貯金してほしいと思っているし、その努力もしている。ゼミ生や大学院の学生たちが、卒業後定職に就いて安心した生活ができるよう、自分に可能なことはしたいと思っている。その思いが単なる私のエゴなのかどうか、判断は難しい。考えてみれば確かに、私がいなければいないで、皆どうにか生きてゆくわけだから、エゴかも知れない。

そういう現実の中にいながら、私は「豊かさ」と「貧しさ」の逆転についても考えているわけで、その矛盾に、いちむらさんの言葉は突き刺さってくる。ともかく私の思考範囲の中では、質素だが食べるには困らない長屋の生活がせいぜいだった。「そこまでは戻れる」と思っていた。路上生活までは考えの範疇になかった。それは実際に生活のレベルを下げることを、私が真剣に考えていないからではないだろうか。

「ホームレスになるほどでなくても、階段を降りてくればいいのに、それができずに、いきなり飛び降りて自殺してしまう人もいますし」といういちむらさんの言葉も衝撃的だった。私も、ときどき何もかもやめたくなってしまうことがある。それは単に、「階段を降りる」ことを考えていない浅はかさであったのだろうと思う。「階段を降りる」という言葉。それが私の価値観を変える言葉だった。