37回  ナショナルなもの、ローカルなもの

田中優子(在日横浜人)

「プーリィ」というものをご存知だろうか? 「をはり=終わり」のことで収穫の終了を意味する、という説も、「穂礼」「穂折り」という説もあって定かではない。やまとでは秋祭に当たる。沖縄の八重山(石垣を中心とする諸島)では旧暦6月の最初の癸(みづのと)、から次の癸(みづのと)前後がプーリィの祭になる。今年は2度目の癸の日が、旧6月16日の満月の日であった。ちなみに、プーリィは不正確な表記で、リィはルの唇にィの舌の形で発音し、「ル」と「リ」の間の音、ヤマトンチュには発音できない音である。
そのプーリィの調査に入った。プーリィは7月末になることが多く、大学教員は試験を控えて授業を休むことができず、調査に入れない。今年はそれが8月にずれこんだのである。めったに無いチャンスだったのだ。

法政大学沖縄文化研究所の客員研究員の内原節子さんにコーディネイトしてもらった。このかたはもと石垣市の図書館長で、石垣では歩いているだけで声をかけられるほど顔が広い。西表にも小浜にも竹富にも知り合いがいる。調査は内原さんの情報集めから始まった。情報集めが、何より重要なのである。
なにしろ、祭の日は各々の字(あざ)の会で決める。旧暦で決まっているからといって必ずその日、というわけではないらしい。旧暦で祭をするだけでも毎年変動するのに、今年は5月に閏月があってややこしく(5月が2回あった)、さらに字の判断が入ってなかなか決まらない。そのうえ各々の島の、またその集落で日程が違ったりする。自分たちの共同体の祭である。観光客も研究者も相手にしていない。
その決定の経過も興味深かったが、ようやく複数の祭が見られそうなあたりに日程を決めて石垣に入る。すでに終わっている集落もあり、これからの所もある。記録を撮ることを歓迎する集落もあれば、一切の取材や記録や研究を拒否し、カメラや録音機を持っていると追い返す集落もある。総じて、祭に「アカマタ・クロマタ」と呼ばれる、仮面をつけた神の登場する集落は記録を拒否する。その祭に行く日は、カメラはもちろんのこと、ボールペンもメモ用紙も持たなかった。この目で見たものを、こういう場所に書くことも禁じられている。

プーリィの祭のうち「オンプール」の儀式は神司(かんづかさ)の女性が取り仕切り、集落に複数ある御嶽(ウタキ)でそれぞれ執り行われる。村の祭という規模ではな。もっと分割されている。たとえばあの小さな竹富島では、6箇所のウタキの祭が6人の神司によって同時進行する。さらに、そのウタキより範囲の狭い、家(集落の草創期の家)の願所でも、儀式が行われる。儀式には、ウタキの奥のイビと呼ばれる、女性しか入れない空間があり、私はそこに入れてもらうことができた。
詳細はとても書ききれないが、社会の最小単位である共同体がどういうものであるか、祭を通して身にしみた。沖縄の共同体は、県と国にさんざん翻弄されながらも、かろうじて生きている。共同体は国家とも地方自治体とも異なり、その構成単位でもない。別物なのである。共同体がより大きなものにつながっているとすれば、それは田畑であり山であり海であり川である。しかし国家は共同体を吸収した、と思いこんでいる。今、すべてのウタキの入り口に鳥居がある。鳥居の裏をまわると、ほとんどの場合、昭和16年の文字が刻まれている。戦時に国家はこのような形で共同体を呑み込もうとした。しかし神司はもはや、二礼二拍一礼(神社神道の礼)をしない。ウタキの儀礼である九九拝をしている。ナショナルなものとローカルなもの、その関係を考えこんでしまった。あと一歩で、鳥居も無くなるだろうか。

ほんの少し前、一つの島が、自衛隊基地を受け容れた。西表のある集落に行った時のこと。大きな新しい水タンクを見あげて船乗りが言った。「この集落の人口は40人。なのに、あの水タンクには1000人分の水が入っている。ここにも自衛隊が来るんじゃないか、と思う」――国という機構は、自然につながっている共同体を、自分とつなげ直す仕組みをもっているのだ。しかし、何のために?