あのすば・・・・ 第3回

「うしろめたさ」は大切である

田中優子(在日横浜人)

 猫について、二つの話を読んだ。どちらも胸が痛くなるような話だった。まずひとつめ。
 『週間金曜日』9月1日号に、石牟礼道子のインタビューが載っている。石牟礼道子は猫に導かれて最初に水俣病に出会ったという。家で猫を大切にしていた。猫に子供が生まれる。「ネコの子が生まれると、どこかネコの子が幸福になる家に差しあげたいと思うでしょう」。お祖父様が船を持っていらして時々沖へ出る。そこで、子ネコを連れて行ってもらって漁師さんにもらっていただくのだという。ところが、「差しあげても差しあげても、ネコが死ぬものですから、おかしいなと」。石牟礼道子はネコを差しあげた漁師の集落へ行って、人々が病気になっているのを発見する。それが水俣病だった。

 もうひとつは日経新聞8月18日夕刊に載った坂東眞砂子のエッセイである。これはその後ずいぶん物議をかもした。坂東はタヒチに住んでいる。家では猫を三匹飼っている。「獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか」という疑問をもち、猫に避妊手術をするのを拒否している。そして猫に子供が生まれると「家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げる」のだという。避妊手術をするのも子猫を殺すのも同じことで、「子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ」と言い放つ。

 これは胸が痛くなる、というより吐き気がした。常識に対する問題提起は、私も大事なことだと思ってる。しかし吐き気のする問題提起もあるものなのだな。
 坂東は「他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる」と書く。それは正しい。私の家には親を失ったか捨てられた迷い猫が何度か入ってきて、仕方なくエサをやり、冬になるとあまりにかわいそうで家に入れてやる、ということを繰り返して、今では5匹になっている。最初の猫たちは老衰してよだれを垂らしながら歩く。それを母と私は吹いてまわっている。外で排泄できなくなると、あちこちに砂や紙おむつを置かねばならず、今や住まいとしては尋常の状況ではない。それを受け容れる人間もたいへんだが、外で生きて外で死ぬこともできなくなった動物の存在は、それだけで哀れで、矛盾であり不合理だ。正しいことをしたのかどうかも、疑問に思いながら暮らしている。

 しかしその状況は人間が作った。そのことを人間はずっとうしろめたく思ってきた。日本では悪名高い「生類憐れみの令」(1687年)が、人間と動物の関係に最初の一石を投げかけた政策だった。私はこの令の背後に、急激な都市化のなかで、人間が自然界に対して感じる「うしろめたさ」が見える。この時代、まだ江戸の周辺には山犬がうろうろして危険な状態だった。人々は都市生活を安定させるために犬殺しをずいぶんおこなった。しかしそれこそ、「人間の都合」である。人間の都合が急激に伸張してゆく不安、戦国時代の殺戮の欲望が静まらない不安、それらが結果するうしろめたさ。ならば、生類を殺すことによる都市化ではなく、守ることによる都市化はできないだろうか?矛盾は矛盾を呼んで悪法となったが、日本人の中の「自然へのうしろめたさ」という感情は守られたのである。こういう感情を「自虐」と呼ぶ人がいるが、私は「うしろめたさ」は人間が人間でいるために、とても大事な感情だと思う。それなくして宗教や哲学など、この世に生まれただろうか?ちなみに江戸時代は「うしろめたさ」の時代なので、「儲けて何が悪いんですか?」と平然と言える商人はいなかった。

 猫の話に戻る。私はこの二つの猫の話の違いを考える要は、石牟礼道子が水俣病と出会ったことにあると思っている。どちらも、猫は人間が原因で無惨な死に方をしている。しかし石牟礼道子が子猫の命を誰かに託したことが、「次に」つながっている。命はそれ自身が何かを意図せずとも、人をつなげ思わぬところに連れて行くのである。坂東眞砂子は猫を崖の下に放り投げた瞬間、そのつながりを断っている。彼女は何かを発見する前に自分の想念の内部に閉じこめられ、自ら傷ついてゆくだろう。なぜタヒチの人たちと一緒に、解決策を考えなかったのだろうか?

 私も母も苦労しているのだから、「命を大切にせよ」という問題ではない。石牟礼道子は自分で猫をすべて抱え込んだわけではなかった。人に分け、託したのである。ある個人が命を守る力を欠いているのならば共有すればよいのであって、それが人を予想外の所に導くのだ。猫や犬に避妊手術を受け容れてもらうのも、「分担」なのである。私たち人間は、うしろめたさを感じないで生きることなどできない。ちゃんとうしろめたさを感じつつ、「命を絶たない」でいる方法を共有してゆこうと思う。 


最期に腎臓病を患い私の寝室で看取ったクロ