24回  食い物にされないために

田中優子(在日横浜人)

今年の2月から4月にかけ、都心を歩いていると、たて続けに3人の見知らぬ人から声をかけられた。彼らは異口同音に、「ちょっとすみません。あなたの額のあたりに、大きな変化のきざしが出ています。何か心当たりはありますか?」と言う。2人が女性、1人が男性である。こぎれいな40代ぐらいと思われる人たちで、おかしな口調でもなかった。良い変化だとも、悪い変化だとも言わなかったが、1人の女性は「輝いています」と付け加えたので、吹き出してしまった。

3人目のときは少し時間があったので、押し問答をした。「私は占いを信じない」と言うと、「信じても信じなくてもいい。見えるのだからしかたない」と返す。「何も心当たりがない」と言うと、「身近な別の人にその変化が移行することがある」という。こういう理屈なら、何でも言えるだろう。ばかばかしくなって打ち切った。

私の推測はこうだ。彼らは占い業者の団体を形成している。ちかごろ不景気で、座っていても客が来ない。そこで客を引くために、ひとりで歩いている中年女性に狙いをつけ、「変化のきざしがある」と言う。子育てを終えたり夫が定年を迎えそうな女性は、「確かに変化の時期だ」と思う。なんとなく不安になり「それはどういう変化ですか?」と聞く。「そりゃもう教えてあげましょう!」そして占い部屋に直行。最終的に払ったお金は数十万円――なんていう人はいない?

あいにく私は相変わらずの生活を続けていて、今年の予定は去年とほとんど同じ。変えたくとも変えようがない。同じような生活が定年まであと10年もある。ひっかかりようがなかった。しかも「いつもと同じ」と思うか「大きな変化だ」と思うかは、人それぞれである。私は学校勤めなので年間のスケジュールが毎年同じだ。しかし講義している内容は毎年違うし、出会う学生も書く本や講演も仕事する相手も異なる。

人ひとりであろうと、一国であろうと、社会であろうと、異同は重層的であり、どこを見るかによって違ってくる。それが分からない占い師と政治家は偽物だ。もう少し言えば、「突然の変化」なるものはほとんどこの世に存在しない。表面的な変化には、必ず深層での長い期間の準備がある。深刻な変化が現れる前に手を打つのが、政治家というものだろう。

「日本は変化の時期です。さあどうしますか?」という新しい商売が、次々と出てくるのではないだろうか?人を食い物にする人間と食われる人間とに分かれ、不安をあおり金で安心を売る。こういう時こそ、地に足をつけてゆっくり歩かなければならない。江戸時代の人々は、他人と歩調を合わせられなかった。だから行進ができなかったのだ。走ることもプロ(飛脚など)でなければ難しかった。今こそ、江戸人のように自分なりの歩き方をしようではないか。食糧不足、水不足の時代には、最低限のものをちゃんと食べて飲んで、他人からは食われないようにするしかない。