23回  いよいよ新・江戸時代

田中優子(在日横浜人)

6月8日のサンデーモーニングに出演していた。この日はニュース枠で原油高騰、穀物高騰による暴動が30ヶ国で起こっていることや、韓国で牛肉輸入問題をきっかけにした李明博政権の支持率落ち込みが報道され、「風をよむ」のコーナーは「農業問題」だった。この日の2時間から私が読み取ったメッセージはこうだ。――あと数年で私たち日本人は飢える。いや、もう少し正確に言うと、飢える人間と依然として飽食を続ける人間とに分かれる、のである。もう始まっているかも知れないが。

自分で自分の首をしめる、とはこういうことだろう。私の学校給食はコッペパンと脱脂粉乳だった。サンデーモーニングでは「カーギル社とADM社による穀物投機が穀物の値を上げている」という指摘があったが、私が子供のときにパンを食べたのはまさにそのカーギル社の戦略なのである。これはアメリカの戦略、と言ってもいい。アメリカの国政はアメリカを根拠地とする多国籍企業の戦略と同じなのだ。アメリカという国には、誰かが資本を増やすための企業的な戦略はあるが、「民を救う(経世済民)」という本来の意味での「経済」や、「国を治める」という本来の意味での「政治」は存在しないのではないだろうか? これはオバマになれば変わる? そう簡単に変わるとも思えない。

国家すなわち搾取者、という構図は前近代の帝国の構図である。それが国内においてではなく、あからさまに国家間で起こるようになったのが産業革命だった。産業革命とは、誰かが産業を掌握して原料を搾取し、産業を掌握したものは際限なく富み、搾取される側は際限なく貧困になるための革命、と定義し直すべきだろう。資本主義というと資本をもつ企業に目が向く。国はそれを「自由にさせておく仕組み」と考えられている。いかにも国が資本を制御できるような気がするが、現実は逆だ。多国籍企業は、その企業がカバーする国々を完全に制御している。今や政府は(とくに日本の政府は)それに対抗する力がない。

カーギル社とADM社は東京にも支社を置いている。マクドナルドも「日本マクドナルド」を置いているし、吉野屋も日本人を牛肉慣れさせるのに大きな役割を担った。米国が肉とくに牛肉を売りたがるのは、大量の穀物が飼料になっているからである。やはり問題は穀物企業だ。

「牛乳を飲まないと大きくなれない、骨ができない」と脅され、「肉を食べないと賢くなれない」とまことしやかに言われた。それでも、私の親たちの世代(現在の八〇代)の思いこみよりはましかも知れない。私の師は、ものを書く体力を持続するためによく牛肉を食していたが、大腸癌で亡くなった。私の母は今でも私に「あんたは何も食べないから栄養失調なのよ」と言う。「何も」の意味は肉である。母は中年以降に太り、高血圧で苦しんでいる。

彼らの食料バランスや好みが戦後になって(大人になって)変化したのは明らかだ。それは欧米的な富や力(知力、体力)への憧憬と一体であったのだろう。ここにもアメリカの戦略が見える。あこがれているうちはよかったが、ついに世界は食糧危機に突入した。この危機は、穀物を大量に消費する肉食と、より莫大な富を集中させようとする投機とが、引き起こしている。バイオエタノールの登場も、環境保全が目的なのではなく、穀物投機戦略のひとつかも知れない。

人の飢餓を金儲けの道具にしている。カーギル社やADM社とはそういう企業であるようだ。しかしそういう会社の株を買って一儲けしようとする人々も、飢餓を踏み台にしている。今に飢えるのは自分自身だ。すでに多くの国が食糧の輸出制限を始めている。福田首相は輸出制限を非難しているが、私は、国民が飢えないように輸出制限をするのは当然だと思う。こうして食べ物を売ってくれる国がなくなれば、金を持っていても飢える。金は食べられない。それとも、その金を持って外国へ逃亡するのだろうか?しかしどこへ?世界はどこも、飢えに向かってゆくのに。その金で田畑を買って耕した方がマシだ。

私は現在、肉とくに牛肉を食べない。これは意図があってのことではない。もともとあまり好きではない上に、年齢とともにさらに肉への食欲がなくなり、選択可能なときはまったく口にしない。しかし人様にごちそうになるときに、「あれは嫌いこれもだめ」と言うのが申し訳なくて、つい黙ってしまう。結局は残すのだが、誰かが金を払うことになるのだから、これはいけない。「食べない」という意志を口にすべきだろう。米は玄米、パンは全粒粉にしている。これは健康のためではない。あまりおかずがなくとも、おいしく食べられるからである。外食でこれを実現するのは難しい。

穀物企業の道具にならない方法はあるのだろうか? とりあえずは、小学校給食以前の江戸時代的食卓に戻ることだろう。江戸時代はもちろん、私が子供のころもコンビニやスーパーマーケットは存在しなかった。魚屋に行けば「今日はこれが安いよ」と教えてくれてさばいてくれた。八百屋ではその季節のものがいちばん安かった。しかし今はそういう場所もない。特別なことをするのは極めて困難だ。できることがあるとすれば、ごはんと味噌汁中心にすることぐらいか。日本は米だけなら、自給率は100%に近い。助かる道は米である。米を中心に食卓を変えてゆくとしたら、まず大豆の自給率を上げることだろう。次は何を? 新江戸時代がやってきそうだ。