20回 税金は年貢か?

田中優子(在日横浜人)

 私は国とは何なのかわからなくなっていたのだが、ちかごろ確かなイメージをつかむことができた。清徳丸を押しつぶしたイージス艦「あたご」のおかげである。国とはつまり、あのイージス艦のようなものなのだ。厚生労働省も国土交通省も、もちろん防衛省も自動操縦中である。国会議員の大半も自動操縦中かも知れない。天下り官僚など、自動操縦だけでなく居眠りまでしている。それらの自動操縦を知らず知らず支えながら私は日夜働き、この年度末、税金を払うためにたいへんな申告作業を終えたばかりである。もちろん、夜明けの寒い海や凍った土の畑で休む間もなく働く人たちも、身を削って税金を払う季節である。その働く人たちを、自動操縦の巨大な船は、これからもなぎたおしてゆくのであろう。格差社会どころか、これは階級社会である。

 「天皇とは何か」「武士とは何か」という二つの問いは、歴史や日本文化を扱うものにとって永遠の「謎」である。知識が増えればわかる、というものではない。なぜそういうものができたか、については知識によって論理的な説明が可能だが、なぜ続いているのか、については説明できない。ちなみに、天皇についてはその始まりの過程も教科書では説明されていない。
 江戸時代を研究していると、しょっちゅう「なぜ武士がまだいたのだろうか?」という疑問にぶつかる。天皇に寄生したり対立したりしながら、軍事力で土地を獲得して行く時代は過ぎ去った。江戸時代初期のインフラ整備が終わってしまえば、彼らがいなくとも農民は生産できるし、いないほうが豊かになれる。彼らがいなくとも商人たちがものを運んでくれるし、商人も武士という不良債権を抱え込まないで済むから、豊かになれる。実際、庶民に何かをしてくれるわけではないので、ただのお荷物である。決して暴力的ではなく、ヨーロッパの王権のように莫大な富をため込むわけでもなく、貧乏で保守的なだけだが、なんとなく「邪魔」である。自治や法治は農民や町人の力で充分にできていたのだ。武士は年貢で食べている。年貢は税金ではなく貢ぎものである。武士は国民のために何かをする義務は負っていなかった。これを階級社会という。
 武士は国民のためではなく、武家そのもののために存在した。自衛隊は国民のためではなく、防衛省および国家という抽象的なもののために存在するそうだ。国土交通省は道路を作る業者と国土交通省の役人のために存在し、各省もそれぞれ、そこにお勤めする人たちのために存在しているように思える。むろん天皇ご一家は国民のためではなく、天皇ご一家と皇族のために存在する。こういうのも階級社会という。我々は税金ではなく年貢を払っているのだろうか?何のために?

とは言っても、「もし武士がいなかったら江戸時代はどういう社会だったろう」と考えるとさびしい。能も茶の湯も武道全般もとだえていただろう。100万都市江戸の人口は半分以下で、いや、そもそも江戸の存在理由がなくなり、日本の東は辺境のまま放置されただろう。庭師もいらないので染井村もなく、ソメイヨシノは誕生しなかったはずだ。文化の中心は京都大阪となり、浄瑠璃や歌舞伎は町人ものばかりになっただろう。そう考えると、生活上は邪魔ではあるが、少なくとも文化の上では多大な功績があった。
 イージス艦はどういう功績を残すのだろうか?我々はなぜ税金でイージス艦を買ったのだろうか?なぜ税金でこういう国家を運営しているのだろうか?
 やっぱりわからなくなった。


『カムイ伝』より