第4回 国籍条項 と国際的圧力(2)

安壇泰

 1979年6月に発効した国際人権規約についても、日本は幾つかの、留保をしている。
第一選択議定書(人権侵害の申し立てを受ける独立機関の設置)と、第二選択議定書(死刑廃止条約)である。
 選択議定書とは、条約本体から独立し、国際文書として作成されるものである。議定書については人権侵害を受けた個人が国連人権委員会へ救済申し立てができる。
 日本は発効から30年が経過した現在も、第1・2議定書とも留保したままである。 本来条約に合わせた国内法の整備や、既存の法律との整合化、改正あるいは、条約自体を立法するのが、国際的な慣例であるが、遅々として進行しないのが現状である。
 留保事項を批准しない最大の要因は、第1議定書については在日朝鮮人(外国人)の存在であり、第二議定書については天皇制の問題と指摘しておくが、第二議定書についてはここでは触れない。国際的に「留保」とはそれを実現するための、一時的な措置であり、世論形成のための期間と理解されている。
 ところがこの国では、留保を民意という名分で糊塗し文化的特殊性を便宜手段とする。しかし「留保」は「放置」と同義語になっている。

 世界人権宣言(1948年)から18年に及ぶ論議が重ねられ、1966年12月、国際人権規約は採択された。発効したのは10年後の1976年、日本の発効は更に遅れ、三年後(1979年)意に染まないまま、国際的圧力に屈したのである。
 在日朝鮮人(外国人)の形成過程を黙殺し、社会保障制度である、国民健康保険・国民年金・生活保護・国民健康保険・国民年金・生活保護・公営住宅・児童手当法等々を、阻害している状況があったからである。
 他方、外国人登録法、外国人学校法、出入国管理令を恣意的、且つ厳格に運用し、治安の対象として、処遇してきたのである。しかし国際人権規約の批准で運用上、在日朝鮮人(外国人)にも公共住宅に入居させざるを得なくなったのである。
 1982年難民条約の加入では、出入管理法など関係法規が改正され、国籍条項が外され国民健康保険にも加入できるようになった。
 この条約は1951年(1954年発効)国連で採択されており、第23条(公的扶助に関して)第24条(社会保障に関して)で「自国民に与える待遇と同一の待遇をあたえる」という規定がある。条約加盟時に厚生省は第23、24条留保を検討していたと言う。
 条約加盟は国連やG7、「サミット会議」等の国際的圧力であった。加入に31年間必要だったのは支配層にある根強い排外主義に連なる、単一民族論と在日朝鮮人の存在であることは明白である。なぜなら在日外国人に占める在日朝鮮人の割合は、1970年代で90パーセント、1980年代前半でも85パーセントを超えていた事実がある。(現在は25パーセントを下回る)
 日本国が国際的義務を果さず、在日朝鮮人(外国人)の人権を蔑ろにしてきたか、1998年11月、日本政府に出された国連人権委員会の勧告(抜粋)に垣間見ることができる。しかるに現在に至るも一歩も踏み出していない。

 「出入国管理及び難民認定法第26条は、再入国許可を得て出国した外国人のみが在留資格を喪失することなく日本に戻ることを許可され、そのような 許可の付与は完全に法務大臣の裁量であることを規定している。この法律に基づき、第2世代、第3世代の日本への永住者、日本に生活基盤のある外国人は、出国及び再入国の権利を剥奪される可能性がある。(中略)委員会は、締約国に対し、「自国」という文言は、「自らの国籍国」とは同義ではないということを 注意喚起する。委員会は、従って、締約国に対し、日本で出生した韓国・朝鮮出身の人々のような永住者に関して、出国前に再入国の許可を得る必要性をその法律から除去することを強く要請する」

 「委員会は、人権侵害を調査し、不服に対し救済を与えるための制度的仕組みを欠いていることに懸念を有する。当局が権力を濫用せず、実務において個人の権利を尊重することを確保するために効果的な制度的仕組みが要請される」

 「委員会は、朝鮮人学校の不認定を含む、日本国民ではない在日韓国・朝鮮人マイノリティに対する差別の事例に懸念を有する」

 「委員会は、日本の第3回報告の検討終了時に、外国人永住者が、登録証明 書を常時携帯しないことを犯罪とし、刑事罰を科す外国人登録法は、規約第26条に適合しないとの最終見解を示した意見を再度表明する。委員会は、 そのような差別的な法律は廃止されるべきであると再度勧告する」

 「再入国許可を得て出国した外国人のみが在留資格を喪失することなく日本に戻ることを許可され、そのような 許可の付与は完全に法務大臣の裁量であることを規定している。この法律に基づき、第2世代、第3世代の日本への永住者、日本に生活基盤のある外国人は、出国及び再入国の権利を剥奪される可能性がある。(中略)「自国」という文言は、「自らの国籍国」とは同義ではないということを注意喚起する。委員会は、従って、締約国に対し、日本で出生した韓国・朝鮮出身の人々のような永住者に関して、出国前に再入国の許可を得る必要性をその法律から除去することを強く要請する」

 10年を経た、2009年2月に同委員会から出された勧告には以下の文言がある。
 
 「締約国が第二次世界大戦の「慰安婦」問題に対し、未だ責任を認めておらず加害者は訴追されず、また被害者に支払われた補償は、公的基金ではなく民間からの寄付金により、財源化され、それは不十分であり、そして歴史教科書には殆ど「慰安婦」問題は言及されず、一部の政治家やマスコミはこの事案を否定し続ける事に懸念をもって留意する」

 「締約国は、外国人が国民年金制度から、差別的に排除されないことを保証する見地から国民年金法に規定されている年齢要件により、影響を受けた外国人のために過渡的な取り決めを行うべきである」

 「委員会は朝鮮語で教育している学校に対する国庫補助金が、通常の学校のそれより極めて低く、日本の私立学校やインターナショナル スクールへの寄付金と違って、税金の免除も減額もされない、個人的な寄付金に多くを頼っており朝鮮人・韓国人学校の卒業証書は、学生にとって自動的に大学入学の資格とならないことに懸念を表す」



 国際人権規約・難民条約の批准で、国民健康保険・生活保護・国民年金・児童手当・住宅金融公庫からの融資等の社会保障制度からは国籍条項は撤廃された。
 しかし国民年金については未加入の期間救済措置がとられた中国残留日本人や、沖縄在住者(日本復帰時)の「保険料免除期間」の救済措置とは著しく差異がある。難民条約の遵守事項である「自国民待遇」の原則を、日本政府は現在においても無視している。

 前回法曹界の差別、偏見、国籍条項について記したが、依然として日本社会の隅々に、それは存在する。
 1995年朝鮮高校が高校総体に、また在日朝鮮人も学生の身分であれば、国体参加(運用上)が認められるようになった。朝日新聞に大会関係者(1995年10月12日)無邪気で稚拙な無知蒙昧のコメントがある。
 「天皇陛下をお招きしての、大会運営のあり方を考え直さなければならない。日本には韓国、朝鮮の人々が拒否反応を示す歴史的背景がある」
 2006年、内外の圧力によって学生に限らず、永住資格者が国体に参加できるようになった。
 川崎で居酒屋を経営していた頃、不動産業者の店頭に「朝鮮人、沖縄人お断り」チラシがあった。しかし当時は外国人登録済証明書(住民票)を要求されることもなく、日本人の振りをすれば容易に借りられた。
 最近はかなり難しくなっている。アパートを借りようとする時、いくら通称名で借りようとしても、外国人登録済証明書の提出を要求される。また殆どの場合日本人の保証人を要求される。
 時代は変わったとの指摘はあるが、日本人社会が変わったのであろうか。表層的な変化はたしかにある気がする。韓流ブームがあり、韓国に対する親近感も高まっているのは、事実であるが一方、嫌韓本がベストセラーなったり、ネットの2チャンネル覗くと、胸糞が悪くなるほどの書き込みがあったりする。

 拉致問題では2002年小泉訪朝後、朝鮮学校女子学生に対する嫌がらせや、民族服の制服にカッターで切り付ける事件も頻発したりもした。またメディアを含め市民が、家族会や救う会の意に反する論を展開することが、不可能な状況にあったことは記憶に新しい。
 当時の刺々しい社会的雰囲気のなかで、在日朝鮮人は息を潜めて、成り行きを見守っていた。その頃、私は関東大震災のような災害が、もし起きればどうなるかと深刻に考えたりした。 

 2009年12月22日の夕刊紙に次の記事があった。「高校全国駅伝でケニア人留学生ワイナイナ・ムルギがゴールテープを切った。直後に<またかよ>そんな声が上がった」「ケニアからの留学生が大会を席巻するなか、最長区間の外国人留学生起用を、全国高校体育連盟が禁止して二年目の高校駅伝、ケニア人留学生のいない高校との力の均衡を図ろうとしたが、流れは変わらない」
 1992年からケニアの留学生が出場しているが、95年からは男女外国人枠を一人にしたが結果は同じで「留学生出場禁止」の声が上がっているという。
 正月に行われた、大学箱根駅伝(第86回)に日大からケニア人留学生ダニエル選手が、出場していたが、現在のところ外国人枠はないという。各大学が自主規制しているそうだ。
 大相撲の世界にも2002年から外国人枠が設定され、外国人が一部屋ひとりになった。余談になるが相撲部屋に入門しようとした黒人が、ちょん髷を結えないから入門を許されなかったこともある。

 日本のスポーツ界では外国人監督やコーチを、チーム強化のため招くことが多い。(ハンドボール、卓球等)フィギュアスケートの浅田真央や安藤美姫、サッカー、ワールド・カップではトルシエやジーコが監督として采配を揮った。日本のプロ野球でも出場選手の外国人枠はあるが、監督には規制はない。
 1月5日の新聞に大学ラクビーで、外国人選手の「1チーム1外国人」を検討する方向で、協会が実態調査しようとしていることが報道されている。(ニュージーランド出身の留学生が活躍している背景がある) しかし新聞の論調は外国人排除の流れを、文脈として批判するのではなく理解を示しているのである。この異常さ非常識には、ほとほと呆れるばかりだ。
 一連の(国籍条項)で多くの日本人が何の疑問を持つことなく、むしろ日常の事として受け入れている。在日朝鮮人(外国人)が就職や受験や入学、入居等で、どのような扱いを受けてきたか思いが及ばないのは至極当然かも知れない。

 国籍条項はきわめて恣意的に運用される。オリンピックやワールド・カップでの国威発揚ためならガイドラインを無視してまでも、日本国籍を取得させる反面、遺族の感情を無視して外国人である朝鮮人(21000人)を靖国に合祀したままにしている。
 昨年話題になった行政刷新会議による、事業仕分けにおいては、モルガン・スタンレー証券のロバート・フェルドマン氏が参加していたが「国家意思の基本にかかわる」と反対した国民新党の亀井静香氏に対し、仙石由人担当相が「民間人には決定根拠がない」と反論したと言うが国籍条項について双方に問いただしてみたい気分である。

 2009年12月4日から10日まで、法務省が先導した人権週間があった。「世界人権宣言の趣旨を徹底させ人権尊重思想の普及と高揚を図る」というものだが、国際条約での留保と関係法成立の遅滞を見るとき、当該役人達の人権意識の低さに今更嘆息するばかりだ。
 法務省広報ページに次の文言がある。「部落差別をなくそう」,「アイヌの人々に対する理解を深めよう」,「外国人の人権を尊重しよう」,「HIV感染者やハンセン病患者等に対する偏見をなくそう」,等々空虚なスローガンの羅列、「隗より始めよ」と言いたい。
 各地で形ばかりのセレモニーが開催されたのだが、この国の支配層の人権意識はきわめて希薄である。日本の植民地支配と、天皇制国家の犠牲者や子孫(在日朝鮮人)への処遇を見れば明らかである。歴史的経緯からすれば在日朝鮮人は、アメリカの公民権運動の結実であるAffirmative action(積極的差別是正措置)に類する処遇を受けて然る可きである。
 まず上記の各国際条約の留保事項を批准すべきである。例えば人種差別撤廃条約の4条(差別思想の流布に対する処罰)を受け入れることが先決である。そのことが日本人の人権意識を育て高める端緒になるであろう。
 人種差別撤廃条約、第4条は以下のとうりである。

 a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

 日本国憲法97条にも触れておく。

 「この憲法が日本国民に補償する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は過去幾多の試練に堪え、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

 日本国憲法97条は基本的人権とは、日本人のみを指すのではないと明確に述べている。人類の多年にわたる自由獲得の努力により、マグナカルタ(1215年)、権利憲章(1689年)、アメリカ独立宣言(1776年)、フランスの人権宣言(1789年)等をめぐる市民革命、また全体主義との闘いによって、人類が獲得したものである。
 何よりも偏狭な民族主義や排外主義とは無関係であるべきである。人権は国家や民族に規定されるものではない。
 昨年12月の初旬、友人から動画が送られてきた。京都第一初級学校に在日特権を許さない市民の会「在特会」なる団体が、ハンドマイクを持って朝鮮学校に押しかけ「スパイのこども」「キムチが臭い」「なめとったらあかん」「朝鮮学校を日本から叩き出す」等、校舎に向かって口汚く叫んでいた。
 後日新聞に泣き出す生徒達がいたり、教室がパニック状態になったことが書かれていた。動画で見るかぎり、警察官の、生半可で空々しく、よそよそしい警備が「在特会」を煽っているようにしか見えなかった。翻って日本人の小学校の前で彼(彼女)らに類することが行われれば、警察官は同様の警備で済ませただろうか。
 差別禁止法のある欧州やカナダであれば処罰の対象である。

 在日朝鮮人(外国人)は人生の筋目、変わり目でかならず国籍条項を意識する。国際的な圧力の結果変化したことも多い。その部分を拡大して日本は変わったという在日朝鮮人も多い。
 (社会保障制度等)しかしそれは在日朝鮮人という主体が存在したことが連関している。内なる運動と国際的圧力の結果である。つまり変えざるを得なかったというのが正確である。日本社会は果たして本質的に変わったのだろうか。
 既に帰化した在日朝鮮人が30万人を超えたようだ。帰化した多くの人が、「子供に差別体験をさせたくない」「民族に誇りがもてない」「日本人からの差別や偏見から逃れたい」などである。積極的な理由は見当たらない。むしろ後ろ向きの帰化が多い。人間的ほこりを持って帰化したとは言い難い。大部分がひっそりと、帰化した事実さえ伏せているのが実態である。換言すればこの国には、草の根の国籍条項があるが故である。
 
 指紋押捺排除が韓国政府等の圧力で一定の成果を得たように、また各種の社会保障が国際的圧力で国籍条項撤廃に連結した如く、国際社会に働きかけるのがこの国においては、有効な方策である気がする。
 国際司法裁判所への提訴や国連人権委員会への働きかけ、諸外国の人権団体との共闘、インターネットによる外国への情報発信などの、国際的圧力が必要である。遺憾ながらこの国の為政者や支配層が自己省察する事などあり得ない。国際的圧力の形態は様々に存在する。持続的に圧力をかけ続けよう。
 在日朝鮮人社会では地方参政権を巡る論議が喧しいが、個人的には日本国政府に人種差別撤廃条約の、完全批准を促し「差別禁止法」の立法化を図ることが先決だと考えている。
 国際的な広がりの中で、政治運動、実践活動、広報活動等を展開し、国籍条項撤廃の流れをつくることが、より有為であり重要なのではないだろうか。